三沢光晴

2009年09月28日

三沢光晴追悼興行へ……

小橋チョップ
追悼セレモニー

昨日(27日)は、日本武道館へ三沢光晴追悼興行へ。
三沢さんの思い出に浸りたいと願うファンが押し寄せ、
当日券はすべて完売の大入り超満員となった。

日本武道館周辺には、記念パネルが飾られ、
三沢さん関連書籍のブースが並んでいた。

全試合終了後に、テンカウントゴングが鳴らされ、
三沢さんのテーマ09年ヴァージョンが流される中、
モニターには、歴代の名シーンが流され、
思い思いの「三沢コール」が繰り返されていた。

全試合終了後、先日発売されたばかりの
『三沢光晴外伝 完結編』の作者と
担当編集者らとともに酒を呑んだ。
三沢さんの思い出は尽きず、
予想通り、朝まで呑んでしまった。


そして、本日。
二日酔いで苦しんでいると、宅配便が届いた。
送り主の欄には「三澤真由美」と書かれている。
そう、それは三沢さんの奥様からだった。
香典返しとして、百貨店のカタログが入っていた。


酒の残る頭で、呆然とカタログをめくる。
ますます、三沢さんが遠くに行ってしまうようで、
かなり切なく、寂しい朝となってしまった……。


下の三沢さんのDVDを買った。
あれ以来、一度も試合の映像を見ていないけれど、
届いたら、見てみようと思う。








shozf5 at 22:30|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

2009年07月05日

さらば、三沢光晴……

昨日(4日)、三沢光晴さんのお別れ会に行った。
多くの人が訪れると思い、少し早めに会場に着く。

12時過ぎにディファ有明に到着するも、
すでに、会場周辺まで行列が伸びていた。

関係者受付で、三沢さんの本作りにかかわった
作者と先輩編集者が到着するのを待つ。
その間、ごぶさたしていた懐かしい顔に多数出会う。

会場に入る。中央にグリーンのリング、
そこには多くの花が飾られ、
その上にはチャンピオンベルトを巻いた三沢さんの遺影。
その姿を見た瞬間、鼻の奥がツーンとしてくる。

式は、予定より早く始まった。
僕の左手前方には、ノアの選手たち。
右手前方には、新日本の選手たちの姿が。
目の前には、漫画家ゆでたまご先生、
健介、北斗夫妻の姿なども見える。

二階バルコニーからはカメラマンが齋藤彰俊を狙っている。
期せずして、三沢さん、最後の相手となってしまった彰俊。
その表情は窺えなかったものの、
終始、うつむき加減のその姿が悲しい。

関係者の弔辞が始まる。
テンカウントが会場中に響く。
そして、献花が始まる。

用意していた花束を手向け、
退場口で並ぶノア勢に一礼し、
会場を後にする。

通路には、全国から寄せられた手向けの手紙や、
花束、酒やビールなどが所狭しと並んでいる。

外に出ると、さらに行列は伸びていた。
銀座か新橋辺りで弔いの酒を呑もうと、
タクシーを拾う。車窓には延々と続く大行列。

こんなに多くの人が三沢さんにお別れを告げに来たのだ、
そう考えると、ますます悲しい思いに支配されてくる。

豊洲の駅で、三沢さんの友人に会った。
三沢さんいわく「オレのマブダチ」と言う、
その人とは、以前、何度も酒を呑んだ仲だった。

「三沢さんが引き合わせてくれたんですかね……」

と互いに言いつつ、彼を交えて酒を呑んだ。
彼しか知らない三沢さんのエピソードばかりで、
意外な話の多くに、酒はグイグイ進んだ。

普段、試合について、自分の仕事について、
まったく自慢をしなかった三沢さんが、
「マブダチ」に対して、唯一自慢したことがあるという。

それが、

「ノアの選手は、社会保険なんだ」

ということと、

「ノアの名前で、住宅ローンは通る」

ということだったという。

某レスラーが住宅を購入しローンを組む際、
「ノア」という会社に信頼をしてくれて、
難なく住宅ローンが通ったということを、
同じく経営者である「マブダチ」に、
嬉しそうに語ったというのも、実に三沢さんらしい。



……三沢さんが引き合わせてくれた、
「マブダチ」との時間が過ぎていく。
「また逢いましょう」と別れを告げる。


(もう少し、呑んでいこうか……)


まだ、「サヨナラ、三沢さん」とは言いたくない気分だった。
酔った頭で、僕たちは酒場街を歩き続けた……。











shozf5 at 12:25|PermalinkComments(3)TrackBack(0)

2009年07月04日

スパルタンXが聞こえる……

行列は、まだまだ伸び続けている。

鹿児島からやってきた高校生の少年は、
これが、初めて一人で訪れる「東京」だった。
(初めての「東京」がこんな形になるなんて……)
そんな思いを抱えたまま、列が進むのを待っていた。


大きなおなかを抱えた妊婦も列に加わっていた。
おなかの中の子どもは、将来、大きくなったときに、
「三沢の現役時代を見られなかった」と悔やむのか、
それとも、
「三沢さんのお別れの会に母と参加した」と誇りに思うのか?


グリーンのアロハシャツ姿のチンピラの姿もある。
いてもたってもいられず、兄貴に黙って、馳せ参じたのだろうか?
それとも、正直に兄貴に話して、
「それなら、ぜひ行ってこい」と送り出してもらったのだろうか?


仕事が終わってそのまま駆けつけたキャパ嬢だろうか?
徹夜明けなのか、せっかくの化粧も原形をとどめておらず、
それでも、手に持てる精一杯の大きな花束を抱えている。
その頬には、すでに涙が幾重にも伝い、
さらに化粧をぐちゃぐちゃにしてしまっている。


胸に「三沢光晴は僕たちの誇りです」と書かれた
緑のTシャツを着た青年の姿もあった。
「誇り」を失った今、彼の心に、
大きな隙間が芽生えているはずだろう。
彼にとっての、次なる「誇り」は、いつ見つかるだろうか?


足の悪い老人もまた汗を拭きながら列に加わっている。
左手に杖を、右手に花束を抱えたその男性は、
どんな思いで、この日を迎えたのだろう?
彼は、自らよりも年少のレスラーに何をもらったのだろう?


行列の中には金髪の外国人の2人組もいた。
この日のために、わざわざ日本に来たのか?
それとも、留学中の心の支えだった、
稀代の名レスラーに別れを告げにやってきたのだろうか?


そして、今日、ここには来られなかった、
多くの三沢ファンの姿があることも僕は知っている。
彼らは、遠くから、東京に向かって手を合わせ、
心の中で、それぞれの追悼を行っていることだろう。


そのすべての人々の心の中には、
何度も何度もスパルタンXが鳴り響いていることだろう。
このテーマに合わせて、「ミサワ、ミサワ!」と、
心の中の大コールが繰り返されているはずだ。



上空には、ヘリコプターが何度も旋回を繰り返している。
列は、少しずつ、少しずつ、進んでいくものの、
それでも、遥かかなたまで続いている。

大きな箱舟に乗った名レスラーの出航を、
ぜひとも見届けようと、静かな葬送の儀は続いている。




shozf5 at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年06月15日

『三沢光晴の「美学」』に酔いしれて……

なおも、三沢さんについて書く。
三沢さんの死を知って以来、資料部屋に行き、
三沢さん関連書籍、雑誌を読み続けている。

三沢さんにインタビューしたときのMDも見つかったし、
当時の試合ビデオもいっぱいあったのだけれど、
ちょっとまだ辛くて見る気がしないので、
もっぱら活字で、三沢さんを偲んでいる。

98年10月31日の日本武道館大会。
メインイベントは、王者・小橋健太(当時)対三沢光晴。

試合は、43分29秒、左右のワン・ツー・エルボーで、
三沢さんが第20代の三冠王者に輝いた。

週プロ・98.11.17号












当時の「週プロ」の記事を読んで、この試合が鮮明に思い出された。
本当に、すごい試合だった。

ターンバックルに顔面から打ちつけられたとき、
「三沢さん、死んじゃうんじゃないか?」と本気で心配した。
馬場さんも「すごい試合だった」と総括していた。


そして、この試合の後、僕は三沢さんと呑んだ。


昨日も書いたように、この頃、三沢さんの本を作っていたので、
このときも、三沢さんの友人たちとともに、朝まで呑んだのだった。
43分もの激闘を終え、満身創痍にもかかわらず、
それでも三沢さんは笑顔で、淡々と呑み続けていた。

いつか、もう少し気持ちの整理ができたなら、
この試合を改めて、見直してみたい。



資料部屋にあった本の中では、
2002年に出版されたムック『三沢光晴の「美学」』が面白かった。

週プロスペシャル・2003












三沢さん本人のロングインタビューや、
ゆかりの人たちのインタビューが満載されていて
過去の写真などもかなり充実している。

その中でも特に、今は亡き冬木弘道のインタビューがよかった。
若い頃、地方会場で地元ヤクザと揉めたときのこと。

冬木引退興行開催を決定するにあたって、
初めて三沢さんが「公私混同」したこと。

社長としての「ビジネス」と、先輩後輩としての「友情」を
巧みに折り合いをつける三沢さんの心意気について。

いろいろ、いいエピソードが満載だった。


これらのエピソードは直接見聞した事ではないけれど、
三沢さんの取材を通じて、あるいは酒場でのやりとりで、
「男気」と「ユーモア」と「ダンディズム」を感じさせる
そんなエピソードはいくらでもあったことを思い出す。

『三沢光晴の「美学」』、改めてゆっくりと読み直したい。
そして、その「美学」に酔いしれつつ、静かに酒でも呑みたい。



shozf5 at 12:53|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2009年06月14日

馬場さんが亡くなったときのこと 〜三沢光晴インタビューから〜


さらに、三沢さんについて書きたい。

これまで三沢さんには何度も話を聞いている。
ここ最近はごぶさたしてしまっていたが、
最後にきちんとインタビューをしたのが数年前。

「かなしみ」というテーマで、色々な人に、
自らの「悲しみ」、「哀しみ」について、
語ってもらう企画で登場してもらった。

短い文章なので、以下に、その全文を掲載したい。
文中にある「馬場さん」についてのエピソード。
三沢さんが亡くなった今読むと、改めて感慨深い……。





かなしみ

「今、若者が頭に血が上るとすぐに、“殺す”とか
口走るようだけど、そんな言葉はオレには使えない。
人ひとりの人生を殺すとか、殺さないとかね。

そこまで育つためにいろんなことがあっただろうし、
それを全部、オマエは背負えるのか? その覚悟はあるのか?
それは、オレだって背負える自信はないし、実際に背負えない。

その辺の人生の重さ、命の重さ、人の痛みを考えてほしい。
ケンカして、頭に血が上っているときに、
そこまで冷静になるのは難しいかもしれないけどね。

泣くことはあるか、って?
うーん、ケガの痛みでは泣かないし、
悔し泣きも、高校以来ないし……。

身内が亡くなったこともないので、
人の死というものはあまりピンとこないんだけど、
(ジャイアント)馬場さんが亡くなったときに、
すごく泣いたことを覚えています。

亡くなってから3日後ぐらいなんですけどね。
ふとした瞬間なんです。
友だちとカラオケをしていたとき。

そのときは(松山)千春さんの歌で、
ドラマ『みにくいアヒルの子』の主題歌なんかを歌っていて、
ふと涙がこぼれたんです。
最初は、ポロッと。そのうち、声を出して……。

酒を呑んでいたっていうのもありますけど、
その日は朝方までずっと泣いていました。

でも、泣くときはあんまり我慢しない方がいい。
泣くだけ泣いて、サッパリする、それって大事ですよね。

わかりやすく言うと、女性とケンカして、
いつまでもヒクヒクしてる女って、
自分が悪くても何かムカついてきますもんね(笑)。

でも、何で3日後なんだろう?
きっと、“実感”の問題なんでしょうね。
いて当たり前の人がいない。二度と会うことができない。
それを実感するのに3日という時間が必要だったんですかね。

馬場さんの死で、人の命の重さや、人の存在感、
そんなことを考えさせられました。

偉そうなことを言ってるけど、このオレも仕事上、
体の痛みはよくわかるけど、他の人の気持ちの痛みは、
きっと死ぬまでわかんないでしょうけれどね……」





shozf5 at 10:41|PermalinkComments(7)TrackBack(0)
PROFILE
SHOICHI HASEGAWA 
1970年5月13日・東京生まれ。
ノンフィクション・ライター
日々、旅をして、人に出会い、
話を聞き、それを文章にする。
そんな日々の雑感です。
長文になると思います。

ちなみに、上の写真は、
モハメド・アリ@北朝鮮です!
(07年3月1日付参照のこと・笑)
shozf5@gmail.com


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