ヤクルト書籍関連

2016年02月01日

左投げの杉浦享がセカンドを守った?

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先日、ファーム研究の泰斗、松井正さんに「今度、元ヤクルトの杉浦享さんにインタビューをするんです」と告げると、松井さんから、こんな話を聞いた。

「確か72年だったと思うんですけど、ファームの試合で杉浦さんがセカンドで出場している試合があるんです」

杉浦さんと言えば、「左投左打」で、現役時代は外野か一塁を守っていた。いくらファームとはいえ、左投げの杉浦さんがセカンドを守ることなどあるのだろうか?

その日の夜、松井さんは新聞のコピーをすぐに送ってくれた。記事によると、杉浦がセカンドを守ったのは1972年5月16日、対巨人戦のことだった。改めて確認すると、

確かに(二)杉浦

と書かれている。本当に杉浦さんはセカンドでスタメン出場したのだろうか? ということで、取材当日、さっそく杉浦さんに直撃してみた

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「1972年のファームの試合で、杉浦さんはセカンドを守ったんですか?」

「……えっ?」

一瞬、キョトンとしたまま、(こいつは何を言っているのだ?)という顔で、僕を見つめている。

「当時の新聞記事にそう書いてあったもので……」

「どれ、どれ、ちょっと見せて」

しばらくの間、記憶の糸をたどる杉浦さん。しばらくして、「あっ!」とひと言。

「ほら、コレを見てごらん……」

杉浦さんが続ける。

「……一番の渡辺(進)がライトになっていて、二番の僕がセカンドになっている。コレ、逆だよ。渡辺がセカンドで、僕がライト。新聞のミス。間違いだよ!」

……何と、新聞の単なる誤植だった(笑)。そりゃそうだよな。

「だってオレ、内野なんて一度もやったことないからね」


……ということで、今夏出版予定の「ヤクルト本」。着々とOBたちの取材を続けています。これから、現役ユニフォーム組のインタビューが始まります!

あっ、プロ野球ファンのみなさん。あけましておめでとうございます!






shozf5 at 11:48|Permalink

2016年01月16日

僕にはありあまる、八重樫幸雄がありあまる

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ここ数日、八重樫幸雄氏が頭から離れない。先日、初めて彼にインタビューをして、その個性的な佇まいと話の面白さに圧倒されて以来、寝ても覚めても、僕の頭の中には「八重樫幸雄」の笑顔でいっぱいなのだ

故・大杉勝男さんとの仲睦まじいエピソード、弱小時代のチームの雰囲気、不遇だった頃の若手時代。訥々と語られる話題はどれも最高だった。

でも、あえて呼び捨てにするけれど、現役時代の八重樫が好きではなかった。ピッチャーと正対するような、極端なオープンスタンスもカッコ悪いと思っていた。守っても、もっさりしていてパスボールも多く、ろくに配球のことなどわかりもしないのに、「ここでスライダーはないだろ」としたり顔で彼を非難し、「ヤクルトが弱いのは八重樫のせいだ」と思っていた。

後に古田敦也が入団し、ヤクルトが黄金時代を築いたときに、「やっぱりキャッチャーは大事なのだ」と八重樫時代を頭に思い浮かべて、納得していたものだ。

ヤクルトに入団する前に、スカウトたちが古田を称して、「メガネのキャッチャーは大成しない」と言っていたのは、八重樫という前例があったからだ。僕は、そう信じていた。

……ところが、時間の経過とともに、そして、自分も大人になり、やがて中年になるに連れて、僕の中での「八重樫像」が少しずつ変化していった。それまで、「八重樫」と呼び捨てにしていたけれど、気がつけば「八重樫さん」と呼ぶようになっていた

70年のプロ入り以来、ずっと大矢明彦の陰に隠れて、ほとんど出番をもらえなかった。入団当時はスリムな体形で、俊足を誇っていた。打撃センスと走力を買われ、ときの監督たちはみな、「内野手にコンバートしたい」と考えた。それでも、八重樫さんはキャッチャー道を貫き続けた。

出番を与えられないまま、いたずらに時間だけが過ぎていく。やがて八重樫さんは太っていき、走力は衰え、乱視となり、メガネをかけるようになったことで若い頃のようなプレーを続けられなくなった。乱視のためボールが見づらくなったので、「よく見えるように」と、両眼でボールを見る、あのバッティングスタイルとなった。

初めてオールスターに出場したのは入団15年目。初めて打率3割に到達したのもプロ15年目のことだった。その間、決して腐らずにキャッチャー道を歩き続けた。やがて、若手の台頭でレギュラーを奪われると、その後は代打の切り札として23年間のプロ生活をまっとうした。

その後はバッテリーコーチ、二軍監督、打撃コーチ、スカウトを歴任。スワローズひと筋の人生を、今もなお歩み続けている。ともに海を渡った背番号《1》コンビ・岩村明憲、青木宣親は、八重樫さんの教え子だ。

23年間のプロ生活で積み上げた安打数は「773」。決して、超一流の数字ではない。決して、華のある超スター選手でもなかった。けれども、1970年のドラフト以来、実に45年間、スワローズとともに歩み続けている。

そんな八重樫さん、カッコいいではないか。河島英五の歌に出てくるような、不器用で、一途で、そしてはにかむような笑顔を持って……。インタビュー時の八重樫さんは、まさにそんな感じだった。

この取材時に、「昔は失礼なことばかり思っていてスミマセンでした」と謝罪をした(笑)。ようやく肩の荷が下りたような気がする。

以来ずっと、気がつけば八重樫さんのことばかり考えている。手元の古いビデオや市販されているDVDを漁ってみても、八重樫さんの雄姿はほぼ収録されていない。実際の映像を見ることができないからこそ、僕の脳内では過去の記憶が、より鮮明にエンドレスに流れ続けている。今日も、目覚めた瞬間、背番号《28》が真っ先に頭に浮かんだ。もはや、恋愛の初期症状ではないか。


shozf5 at 11:33|Permalink

2016年01月10日

角富士夫氏に36年前のお礼を伝えに行く!

角富士夫氏

僕がヤクルトファンとなった決定的な試合。それが80年4月26日、神宮球場での対阪神戦。初めてヤクルトファンクラブに入会した10歳になる直前のこと。

それまでも何度か野球観戦に連れられていたようだけど、あまり記憶がない。でも、この日初めて家族全員で神宮に行き、そのまま赤坂のホテルにみんなで泊まってすごく楽しかったことをよく覚えている。

この試合で若松勉は4打数2安打。その雄姿に一気にファンになった。そして、もう一人のヒーローが角富士夫。4対4の同点の場面でサヨナラホームランを放ったのが角さんだった

「あの試合のことはよく覚えていますよ。打席に入る前に武上監督から“狙っていけ”って言われてね」

現役生活20年、通算1521試合に出場。それでも、36年前の試合のことをよく覚えていた。プロ野球選手のインタビューをしていると、いつも「よく覚えているなぁ」と感心することが多いけど、角さんもまた当時の心境を生々しく語ってくれた。

荒川博監督から始まり、広岡達朗、武上四郎、土橋正幸、関根潤三、野村克也監督の下で20年間のプロ野球生活を送った。広岡監督率いる78年の初優勝にも貢献し、80年代の低迷期も味わい、野村監督の下で2度の優勝も経験した。

「ヤクルトには二つの流れがありますよね。《野村監督以前》と《野村監督以後》と……」

高校卒業後、現在に至るまでスワローズ人生ひと筋の角さんの話は、今度の新刊執筆に向けて大いに参考になった。36年前のサヨナラ試合。あの試合がなければ、僕はこんなにヤクルトに夢中になることもなかっただろう。「あの試合があったから、今があります」、そんな思いを込めて「ありがとうございました」と伝えた。

「いやいや(笑)。でも、そう言ってもらえると本当に嬉しいです」

ヤクルトOB、現役選手取材、まだまだ続きます。


shozf5 at 09:12|Permalink

2016年01月06日

『哀愁のスワローズ全史』、絶賛取材中!

松岡弘氏

昨年12月1日から、今夏発売予定の『哀愁のスワローズ全史(仮)』の取材を本格的にスタートした。これは、僕にとって初めてとなる「極私的ドキュメンタリー」だ。

スワローズファンになって40年近いときが流れた。1970年生まれの僕にとって、78年の初優勝はボンヤリとした記憶しかない。しかし、80年代の低迷時代のことは今でもくっきりとハッキリと覚えている。僕がようやく物心つき始めた80年代のヤクルトは本当に弱かった。多感な時期にひいき球団がとてつもなく弱かったという事実は、間違いなく僕の人格形成に影響していると思う。

安田猛氏 (2)


僕は当時のスワローズからいろいろなことを学んだ。いいことばかりではなく、反面教師としての学びも多かった。好意的に言えば「弱くても弱くても戦い続ける健気さ」だけれど、現実的には「負け犬根性が身に着いた組織のダメダメさ」「なすすべもなく巨人にやられる無様さ」など、困難な現実から得たものの方が多かった。それでも、一縷の望みとかすかな希望の光を求めて神宮球場に通い続け、ささやかなその夢さえも、なかなかかなうことはなかった。だからこそ、たまの勝利がとても嬉しかった。

関根潤三氏


そして迎えた90年代。野村克也監督の下、ヤクルトは92、93、95、97年と4度のリーグ制覇、3度の日本一に輝いた。80年代とは正反対のスワローズ快進撃。決して腐らず、投げ出さず、じっと耐えていればいいこともあるものだ。そんなことを実感する夢のような日々だった。

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12月1日から始まった取材は、12月だけで8人にお話を聞いた。当時、選手たちはどんなことを考えていたのか? それは、僕の予想通りのコメントもあれば、まったく想像もしなかった苦汁の日々を振り返るコメントもあった。そして、明日からは怒涛の如く80年代、90年代のスワローズ戦士たちにお話を伺う日々が始まる。個人的な思い入れが強いので、現場では完全にインタビュアーの主観が勝ってしまうことだろう。

インタビューは徹底的に客観的であるべきだ――。

そんな思いが胸の奥には根強くあった。だからこそ、「ヤクルトはテーマにすまい」とずっと思っていた。ところが、ふとしたきっかけで、「完全主観のインタビューがあってもいいではないか」と考えるようになった。

徹底客観から、完全主観へ――。

その経緯は本書の中で詳述するけれど、そう考えられるようになった瞬間に、「猛烈にスワローズを書きたい」と思い始め、すぐに懇意にしている編集者に相談すると、トントン拍子で企画が通過。出版が決まった。

もちろん、OBたちだけではなく現役選手、首脳陣たちにもお話を伺う予定でスケジュール調整をしている。OBたちと現役選手たちをつなぐ「スワローズ」という一本の糸。今年上半期は楽しい日々が始まることになりそうだ。


shozf5 at 11:03|Permalink
PROFILE
SHOICHI HASEGAWA 
1970年5月13日・東京生まれ。
ノンフィクション・ライター
日々、旅をして、人に出会い、
話を聞き、それを文章にする。
そんな日々の雑感です。
長文になると思います。

ちなみに、上の写真は、
モハメド・アリ@北朝鮮です!
(07年3月1日付参照のこと・笑)
shozf5@gmail.com


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