『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』関連

2011年06月13日

高橋ユニオンズ発祥の地へ!

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大正11年に開業した東京會舘。
昭和28年12月、高橋ユニオンズはこの地で、
高橋龍太郎オーナーによる球団設立記者会見を行った。

「なぜ、帝国ホテルではなく東京會舘なのだろう?」と
僕は、ずっと不思議に思っていた。

先週の土曜日、馴染みの店で呑んでいたら、
たまたま東京會舘の支配人が隣に座った。
僕の疑問を話すと、その謎はすぐに氷解した。

で、本日、当時の資料を借りて、
彼の案内で昭和20年代の名残りを見て回った。

この写真は大正11年当時から使われているシャンデリア。
おそらく、オーナーの高橋龍太郎も、
この灯りの下で、何度も会合をしたことだろう。

高橋ユニオンズ取材、快調です!


shozf5 at 15:57|Permalink

2011年06月07日

追悼・高橋ユニオンズ・伊藤四郎投手……

伊藤四郎投手

本日の取材前に伊藤四郎氏の死を知った。
先週5月30日の夕方、旅先で亡くなったという。78歳だった。
伊藤さんとの出会いは昨年2月、「高橋ユニオンズ」取材でだった。

僕は『野球小僧』誌において、10年4月号〜11年4月号まで、
『高橋ユニオンズ青春記』という連載を書かせてもらっていた。

1954〜1956年のわずか3年しか存在しなかったプロ野球チーム。
ほとんど記録や資料が残っていないこのチームに興味を持ち、
当時、在籍されていた選手の方々に話を聞き始めた。
その中で、知り合ったのが伊藤さんだった。

伊藤さんのお話は、ずば抜けて面白かった。
若いときには相当やんちゃだったようで、だからこそ、
その武勇伝や失敗話は実に生き生きしていた。


「法律には触れていないけど、悪いことはたくさんしたよ(笑)」


笑顔で、そう語っていた姿がとても印象深い。

当時の資料もきちんと整理されていたし、
記憶も確かだったので、伊藤さんにはずいぶん助けてもらった。

三重県のご自宅にも2度ほど、お邪魔したし、
原稿に息詰まると伊藤さんに電話をして、
抱腹絶倒の思い出話をたくさん聞かせてもらった。

最後にお会いしたのは今年の4月のことだった。
抗ガン治療を続けているとは言いつつも、
その口調は快活そのもので、
まさかこんなに早く訃報を聞くとは想像だにしなかった。


現役引退後は、南海、ダイエーのチーフスカウトとして活躍。
獲得に関わった選手はたくさんいる。

伊藤さんならではの権謀術数スカウト術、
人間の機微を巧みに利用した交渉術について、
現在発売されている『野球小僧6月号』に書いた。
商売人の息子ならではのエピソードは最高だった。

伊藤さんが獲得に関わった選手の一人、
福岡ソフトバンクホークスの斉藤和巳投手が、
自身のブログで実に心のこもった文章を綴っている。


『ありがとうございます!』


文字量の関係で『野球小僧』では触れられなかったけれど、
先日お会いしたときには、斉藤獲得秘話もたくさん聞いた。
獲得後も続く、斉藤選手のお父さんとの交流など、
スカウトの地道な仕事ぶりは、実に感動的だった。



今年の9月、『高橋ユニオンズ青春記』が単行本になる。
連載では書ききれなかったこと、連載中に明らかになったこと、
そして、連載中に見つかった大量の貴重な資料と、
新規取材を交えて、大幅に改訂して出版するつもりだ。

伊藤さんに見てもらうことはかなわなくなったけれど、
それでも、精一杯の力を注いでこれから執筆作業に入る。
近々、伊藤さんの墓前に線香をあげに行こうと思う。
そして、改めて墓前に完成した本を供えさせてもらいたい。

……合掌。ご冥福をお祈りします。












shozf5 at 21:10|Permalink
PROFILE
SHOICHI HASEGAWA 
1970年5月13日・東京生まれ。
ノンフィクション・ライター
日々、旅をして、人に出会い、
話を聞き、それを文章にする。
そんな日々の雑感です。
長文になると思います。

ちなみに、上の写真は、
モハメド・アリ@北朝鮮です!
(07年3月1日付参照のこと・笑)
shozf5@gmail.com


長谷川晶一著作物
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