取材・インタビュー……

2012年08月25日

嶋村かおりさんのブログで……!

昨日は、新刊『私がアイドルだった頃』の発売日。
多くの方から、お祝いのメールをいただき恐縮です。
本当に、どうもありがとうございます。

さて、本書に登場してくれた嶋村かおりさんが、
ご自身のブログで、この本の取材時に触れています。


……詳しくは、以下をクリックして下さい!
「嶋村かおりの○○な日々。」・「私がアイドルだった頃」発売日

僕自身も、とても印象に残っているインタビューだったので、
彼女のブログを読み、当時のことがよみがえってきました。

外見の美しさは往時のままでしたが、
それ以上に、彼女の吐き出す言葉の強さと潔さ、
そうしたことが、より強く印象に残っています。

私がアイドルだった頃
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……さて、現在は次の新刊の仕込みの真っ只中です。
もう少ししたら、詳細をご報告できると思います。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!




shozf5 at 09:08|Permalink

2012年06月20日

15歳のプロ野球選手 〜太田浩喜の青春〜 その2

img157

昨日書いた15歳のプロ野球選手に、思わぬ反響があった。
「もう少し、詳細を教えてほしい」との声が多かったので続きを。


資金難にあえいでいたクラウンライターライオンズが、
「金がないなら有望選手は自ら作ろう」という目的の下、
当時15歳、中学3年生だった少年2人を獲得。
「練習生」という名目の下、英才教育を施そうとした。

それが、1977年秋のことだった。

しかし、チーム運営は、すでに深刻な状態にあった。
何とか78年シーズンは持ちこたえたものの、
その年のオフには、チームは身売りを決意。

チームを引き受けることになったのは西武だった。
球界一の貧乏球団から、有数の裕福な球団へ

博多から所沢への移籍はあったものの、
多くの選手たちにとっては、望むべき身売りだった。

しかし、当時「16歳の練習生」にとっては、
それは運命の激変のプロローグでもあった。


福岡の定時制高校に通いながら練習を続けていた
2人の練習生は、埼玉の学校に転校し、
新生・西武で練習を続けることになった。

球団からは「高校卒業までは面倒をみる」と言われていた。
けれども、その後の保証は、何もなかった。

正式契約を結んでいないから、2軍の試合にも出られなかった。
もっぱら、非公式の練習試合や紅白戦に出場しながら、
日々の練習に励んでいた。
少しずつ、少しずつ結果が伴いつつある実感があった。

しかし、新生チームは新しい人材を欲した。
幸いにして、選手獲得資金は潤沢にあった。
高校、大学、社会人の有望選手が続々入団。

少しずつ、「練習生」の居場所はなくなっていく。
そして、プロ入り4年目のオフ、自由契約通告。
チームは廣岡達朗監督を招聘し、心機一転を決めていた。


1軍出場ゼロ。2軍出場もゼロ。
それがプロ4年間の全記録だ。



だからと言って、太田の人生がゼロの人生であるはずがない。

退団後、大学進学を決意し、見事に大学に入学。
卒業後に、西鉄関連会社に勤めることになったのも、
「ライオンズとの因縁」を感じさせる。

幸せな結婚をし、子どもにも恵まれた。
しかし、若くして、妻には先立たれることになった。
それでも、男手ひとつで子どもたちを育てた。
太田は言う「いろいろ辛いこともあったけど、幸せです」と。


昨日のエントリー記事を読んで、太田から連絡をもらった。

プロ野球界の素晴らしい方々との出逢いで
充実した第2の人生を送る事が出来ております。

15才の時の選択は間違ってはいませんでした!
今は、胸を張ってそう言えます


この文面を読んで、何とも言えない気持ちになった。



太田浩喜についての詳細は、7月10日発売の『野球小僧』
連載「太平洋&クラウンライターライオンズの姿を追って」、
この第5回に掲載するつもり。もしよかったら、ご覧ください。

img154

※左が太田、右が同じく練習生の吉田大介








shozf5 at 11:26|Permalink

2012年06月19日

15歳のプロ野球選手 〜太田浩喜の青春〜

DSCN1916

先週、3泊4日の日程で九州に行っていた。
ここ1年ほど続けている「太平洋・クラウンライオンズ」取材のため。

今回は4名の元選手、3名の元球団フロントに会い話を聞いた
貴重な証言以外に、当時の住所録、ファンブック、
根本陸夫監督によるミーティング資料など、
多くの資料を入手できたのが、今回の大きな収穫だった。

今回、お会いした「元選手」の中に太田浩喜氏がいる。
熱狂的なプロ野球ファンでも、
「えっ、太田浩喜?」という人がほとんどだろう。

彼は一試合も出場することなく、いや、
一度も正式な選手契約を結ぶことなく、
19歳という若さでユニフォームを脱いだ。

まったく野球経験のない陸上部の彼が、
クラウンライターライオンズの入団テストを受け、
見事に合格したのが、彼が中三、15歳のときのこと。


以後、定時制高校に通いながら、練習を続けた。
当時の記事には「中学生選手の奮闘」というフレーズが躍る。

当時、12球団一の貧乏球団と言われたクラウンライターライオンズ。
もっとも短期的な投資しかしてこなかったチームが、
初めて長期的な育成を主眼にした選手育成法だった。

「練習生」として、日々、グラウンドに立ち、
正式契約する日を待ち望んだ。

しかし、チームはその翌年、福岡を離れて西武に身売り
16歳の少年の運命は激変することとなった。
幸いにして、「高校卒業まではきちんと面倒をみる」
という当初の約束は、新チームになっても守られることになった。

学校転校の手続きをし、親元を離れ、少年は所沢にやってきた。

「高校卒業の3年後までに、高校野球部出身者よりも、
レベルが高くなっていたい」


そんな思いで練習を続けていたものの、
19歳の秋、解雇を告げられた……。

その後、南海、近鉄のテストに合格したものの、
諸事情から入団はかなわず、引退を決意。
受験をして、大学生として新生活を始めた。

大学では「元プロ選手扱い」ということで、
野球部に所属したとしても試合には出られない。
したがって、このとき太田は野球を断念した。

15歳でプロ野球の世界に身を投じた少年は、
19歳でプロ野球の世界から完全に離れた……。


あまりにも激変、激動過ぎる10代を、彼は過ごしていた――。



博多のホテルで彼に会った。
齢はすでに50歳となっていた。

彼はプロ野球の世界にどんな思いを抱いて、
その後の人生を過ごしてきたのか?

自分では抗うことのできない
大人の世界の中で過ごした10代の日々。
彼の中ではどんな思い出があるのか?
そんなことをテーマに、話を聞いた。

幸いだったのは、彼の中には、
恨みがましい感情も、後悔も微塵もなかったことだった。

たとえ正式契約はなされなくても、
1試合に出場していなくても、
それでも「自分はライオンズの一員だ」という想いにあふれていた。

彼の手元には、多くの思い出の品があった。
今回の取材に大いに役立つものばかりだった。

あの時代は誇るべき私の青春です

胸を張って語る太田の姿はあまりにも清々しかった。

DSCN1923


今回の物語では、彼もまた主要人物になるだろう。
「15歳のプロ野球選手」、その青春はぜひきちんと描きたい。















shozf5 at 11:59|Permalink

2012年06月11日

あれから23年 〜1989年岩本勉の失われた夏〜

岩本・種田

※写真は八尾北リトル時代の岩本勉氏(中央)、左隣は種田仁氏

1989年、平成最初の夏――。
大阪・阪南大高校野球部は2年生部員の不祥事のために、
直前に控えた大阪府予選大会出場辞退を余儀なくされた。

3年生20名の中には、後にプロで活躍する岩本勉がいた。
大会直前には「高校球界癸臼ο咫廚粒荵が躍るほど、
活躍が期待された逸材は、一度もマウンドに立つことなく、
高校最後の夏を不完全燃焼のまま、終えることになった。


あの夏のことは、今でもよう思い出すんですよ……


岩本勉からそんな話を聞いたのは、
数年前に一緒にアメリカに取材に出かけたとき、
サンフランシスコだったか、シアトルだったか、
定かではないけれど、アメリカの空港のカフェでだった。

この一件は、僕の中でずっと引っかかっていた。

その後、何かのついでに当時の新聞記事を集め、
当時の雑誌を読み、大体の概略はつかんでいた。

それでも、「よし取材しよう」という踏ん切りがつかず、
ずるずると数年が経ってしまっていた。


そして、今年の年明け。


旧知の編集者に「何か企画はない?」と問われたときに、
この一件を思い出して、「実は……」と切り出すと、
「じゃあ、それで8P書いて下さい」と、すぐに依頼を受けた。

そこで改めて岩本本人と、当時のチームメイト2名に会い、
事の顛末をまとめ、『高校野球小僧2012春号』に原稿を書いた。

高校野球小僧 2012春号
高校野球小僧 2012春号
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幸いにして、話を聞かせてもらった人たちから喜んでもらえ、
編集部からも「読者の反響が大きいです」
連絡をもらって、僕自身も喜んでいた。
そして、嬉しいことに「次号でも続きを」と依頼を受けた。

率直に言えば、「まだまだ書き足りない」という、
そんな思いが、僕の胸の内には、確かにあった。

取材をしていて、新たな発見がたくさんあったからだ。

僕が事前に予想していたよりも、3年生20名の絆は遥かに強く、
彼らが、事件を起こした《彼》のことを許していたことも意外だった。


また、明るいキャラクターとは裏腹な岩本自身の複雑な家庭環境、
彼自身が背負っている宿命、そして翳。
そして岩本以外の19名たちの「それぞれのその後」など、
多くのドラマが、まだまだ眠っていることに魅せられた。


6月22日に発売される『高校野球小僧2012夏号』では、
岩本の両親、母校・阪南大高の監督、コーチに話を聞き、
前回とは違った側面から、「1989年の夏」を描いてみた。

高校野球小僧 2012夏号
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先週、岩本勉と久しぶりにゆっくりと酒を酌み交わした。
改めて「あの夏」の話になり、改めて当時の想いを聞いた。

僕は一連の取材で明らかになったことを岩本に伝えた。
チームメイトたちは岩本に対して、さまざまな気遣いをしていた。
僕の発言を受けて、岩本からは新しい事実がもたらされた。

「春号」で最初の物語を書き、「夏号」で続きを書き、
それで、一段落かなと思っていたけれど、
実は、これから長い取材が始まるのだと、今は思っている。

会いたい人、会わなきゃならない人がたくさんいる。
はたして、連絡先がわかるのか、そして会ってくれるのか?

また新しい旅が始まりそうな、そんな予感がしている。
新たな旅が始まる静かな高揚感が、今、確かにある。










shozf5 at 11:00|Permalink

2012年04月24日

太平洋・クラウンライターライオンズ取材中! 〜真弓明信・竹之内雅史・基満男インタビュー〜

真弓明信氏


現在、『野球小僧』誌において、
「太平洋・クラウンライターライオンズ」時代の
連載原稿を書かせてもらっている。

70年生まれの僕にとって、73年から76年まで存続した
「太平洋ライオンズ」の記憶は、ほとんどない。

しかし、「太平洋」の後の「クラウンライターライオンズ」は、
77年から78年のわずか2年間にも関わらず、妙に印象深い。

当時、僕は7歳から8歳の時期。
プロ野球に熱狂し始めるのは、その数年後のことだ。
なのに、なぜか妙に印象に残っているのだ。

時折り見ていた『プロ野球ニュース』の影響なのか、
カルビーの「プロ野球チップス」のオマケカードの影響なのか、
それとも後天的に得た記憶を、当時のものと錯覚しているのか、
あのクラウンライターのド派手なユニフォームが強烈に残っている。

竹之内雅史氏 (2)


太平洋・クラウンの所属選手たちはみな個性的だ。
これまで、話を聞いたのは、

土井正博、日野茂、基満男、真弓明信、竹之内雅史

そして、球団代表の坂井保之氏の全6名。
もちろん、まだまだ話を聞きたい選手は大勢いるし、
一度聞いた人にも、再び話を聞く必要性も出てくるだろう。

東尾修、白仁天、若菜嘉晴、東田正義、永射保、
伊原春樹、立花義家、古賀正明、倉持明……


彼らの中で、太平洋・クラウンの6年間はどんな意味を持ち、
現在では、どんな思い出となっているのだろう?

基満男氏


昨年末、基満男に話を聞いた。

「黒い霧事件」への関与を疑われた際の話になり、
かつてのチームメイト・竹之内雅史のことを、

「あいつのことはキライだ」と言い放った。

先日、竹之内に会い、そのことを伝えた。

「あいつなら言いかねないな」と苦笑いを浮かべた。

さらに、江藤慎一監督と、試合中にベンチ裏で殴り合ったとされる
エピソードについて竹之内に話を聞いた。

「さすがにオレだって、目上の人は殴らないよ」と笑ったものの、

すぐに殴り合いに近い「衝突」のエピソードを教えてくれた。
その際に竹之内は短く、しかし強く言った。

「気が強くなかったら、できねぇよ、こんな商売!」

そのひと言は、実にカッコよかった。

真弓明信にも話を聞いた。

「黒い霧事件」で球界を去った池永正明と真弓には
直接の接点はない……はずだった。

真弓が入団1年目。
球団関係者からこう言われたという。

「池永の店にはなるべく行かないように」

当時、池永は博多で「ドーベル」というスナックを開いていた。
その当時のことを振り返って真弓は言った。

「でも、行ったけどね、オレ、池永さんの店に」

中学時代にたったの一度だけ、
真弓は平和台球場でライオンズ戦を生で見ている。
その際にブルペンで見た池永の投球に魅了されていた。


「直接の面識はなかったけど、池永さんのことは
ライオンズの先輩だと思っていたから……」


真弓の言葉もまた、カッコよかった。

ここまで出会った人々は、みな男くさい人物ばかりだった。
男くさい人物たちが織りなす6年間の物語。

本当に金がなく、「貧乏球団」のそしりを受けつつ、
それでも野球を続けた男たちの話はとても濃い。

現在、取材を続行中。
一段落したら、ぜひ全面書き直して、一冊にしたい。
何年後になるかはわからない。けれども、絶対に形にしたい。


野球小僧 2012年 06月号 [雑誌]
野球小僧 2012年 06月号 [雑誌]
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※追記
この号に、真弓さんの原稿を書きました。
よろしければ、ぜひご一読を!


shozf5 at 02:34|Permalink

2012年04月04日

美空ひばりの秘蔵資料を見て感じたこと……

不死鳥 美空ひばり in TOKYO DOME <完全盤> 翔ぶ!! 新しき空に向かって [DVD]
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現在、7月発売の『元アイドル』本の執筆の大詰め。
全15名の物語なのだが、ただいま11名分書き終えた。
来週中には、第一稿が書き終わる予定。

その一方で、次回作、その次の作品の取材も並行中。
その一つに「美空ひばり」関連の書籍がある。

長谷川と美空ひばりという、不思議な取り合わせだけど、
こちらの取材もほぼ大詰めにさしかかっている。


先日、美空ひばりの一人息子・加藤和也氏に、
生前のひばりさんの日記を見せてもらった。

そこには、初めての子の成長に感動し、
ときには、息子の中耳炎におどおどし、
離れ離れの息子を気遣う母親の姿があった。

さらに、和也氏が小学校を卒業する際に、
ひばりさんがまったくのサプライズで
謝恩会で歌った映像も見せてもらった。

突然のひばりさんの登場にどよめく場内。
一父兄から、天下のひばりに変わる瞬間。
最初に歌ったのが、なんと『芸道一代』

今回は「女王」ではなく「家庭人」としての
美空ひばりを描きたいのだけれど、
美空ひばりと加藤和枝が共存する貴重な映像だった。

心身ともに優れないことも多いけれども、
グダグダ言わずに、真っ直ぐ、前を見て進みたい。
さぁ、今日も取材に出かけよう。






shozf5 at 10:22|Permalink

2012年02月15日

安倍なつみインタビューを終えて……

シャイニング バタフライ(初回生産限定盤)(DVD付)
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昨年来続けてきた「元モー娘。」取材が、いよいよ佳境に。
今週、満を持して安倍なつみさんにインタビューをした。

事前に彼女の著作を読み、これまでのインタビュー記事を整理し、
率直なところ、「どこまで深い話が聞けるのだろう?」と思っていた。

……ところが、これまででもっとも深く濃い話となった

センターポジションを任された重圧と、
本当の自分と、世間の持つ「なっち」像とのギャップ。
まさか、そんな話が彼女の口から立て続けに出てくるとは。

これまで、たとえば中澤裕子や矢口真里が、それぞれ
「なっちは決して弱みを見せようとしない」とか、
「メンバーにも本心を語ろうとはしない」と語っていたけれど、
その意味が、少しだけ理解できたような気がした。

どんなにつらいことがあっても、重圧を受けても、
世間の荒波にさらされようとも、決してひるむことは許されない。

なぜなら、彼女は「センター」だからだ。

それを15歳にして体感し、体得した彼女は、
以来、2004年にモーニング娘。を卒業するまで、
その重責を担い続けていたのだ。

途中、彼女が涙を浮かべた場面があった。
その姿に、僕も思わず言葉を呑んだ。


取材後、同席していた編集長がポツリと言った。

「今、前田敦子の辛さが唯一わかる人は彼女かも」

確かに、そうかもしれない。


……取材から数日後、取材時のテープ起こしが上がってきた。
彼女には、いつもテープ起こしをお願いしているのだけれど、
彼女のメールには、こんな一文が添えられていた。


「センターって……、というか、
なっちって本当にすごい、と。
脱帽です」



本当に、僕もそう思う。











shozf5 at 22:52|Permalink

2012年01月28日

私がヌードになった理由……後藤理沙インタビュー再び

私がアイドルだった頃
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年末年始、僕のブログを初めて訪れる人の多くが、
「後藤理沙 ヘアヌード」という検索ワードだった。

というのも、『週刊現代』の年末年始合併号で、
彼女のヌードグラビアが袋とじで掲載されたからだった。

2008年8月、「元アイドル」連載で後藤理沙の
インタビューをしたことを、このブログで書いた。

その日のことは、

「ヘアヌードはしない 〜後藤理沙さんインタビュー〜」

に書いた。このとき彼女は、

「雑誌社の人って、みんな私を脱がせようとするの」

と笑顔で語り、「でもね……」と少しだけ真剣な表情になって、

「私は後悔したくないから脱がないの」

と言葉を続けた。


それから1年半が過ぎ、彼女はヌードになった。


「元アイドル」連載の書籍化が決まり、ちょうど、
原稿に取り掛かろうとしていた矢先の出来事だった。

こうなった以上、以前取材したものだけでは、
物語を構成することはできない。
そこで、追加取材を試みることにした。

1年半ぶりに見る彼女は、前回よりもスリムになり、
肌のつやもよくなったような印象を受けた。

「いつものように、今日もスッピンです!」

……こうして始まった、追加取材。
テーマは、当然「脱ぐにいたった経緯とその心境」だ。

相変わらず、彼女の言葉は屈託がなかった。

詳細は単行本に記したいが、端的に言えば、
信頼できる旧知のカメラマンとともに、
「自分の作品を作る」という意気込みで、
ヌードになる決意をしたということだった。

――何年か経って、後悔することはないでしょうか?

そう尋ねると「ない!」とキッパリと言いきった姿が印象的だった。

さらに、ネット上で「(脱ぐのが)10年遅い」とか、
彼女のスタイルに対する批判を目にしたという彼女は、

若干の憤りとユーモアを交えて言った。


「ネット上で、“後藤理沙も堕ちたねぇ”って書かれてたんです。
 もう、それを見て頭にきましたよ。私は、
 “堕ちた”んじゃなくて、“上がる”ためにやってんじゃ、ボケ!」



威勢のいい言葉遣いが、耳に心地よかった。
はたしてどんな写真集が完成するのか?
写真集が完成したら、改めてその感想を聞くつもりだ。

完成した写真集を前に、果たして彼女はどんな言葉を吐くのだろう?


※追記・12.08.24
後藤さんのインタビューが収録された
新刊『私がアイドルだった頃』、発売されました。
私がアイドルだった頃
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2011年09月22日

追加取材第一弾は、槙原寛己氏インタビュー!!

不滅 元巨人軍マネージャー回顧録
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槙原寛己の詫び状・感謝状

昨日は、拙著『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』の発売日。
とは言え、浮かれてばかりにもいかず、
発売延期が決定した次回作の取材に台風の中、青山に。

目的は、元ジャイアンツの三本柱の一角、槙原寛己氏取材

次回作の主人公は、ジャイアンツとともに40数年を過ごした、
元マネージャーの目から見た、ジャイアンツ&団塊世代&日本、日本人!!

自分としても、何とも壮大なテーマを掲げ、一応、脱稿したものの、
気合が空回りというか、看板倒れというか、
要するに面白くもなんともない出来となってしまった……。

ということで、発売を来春にずらすことにして、
追加取材を施して、全面的に再構成することにした。
心機一転の第一弾取材として、槙原氏に会いに出かけた次第。


94年5月18日、彼は完全試合を達成する。


この日の2日前に門限破りで「外出禁止1ヵ月」の
ペナルティを受けていた槙原は、試合前に、
「外出禁止1ヵ月は納得いかない」と申し出て、
見事に完全試合を達成し、ペナルティ解除となった。


時が流れて2001年9月30日。
この日、槙原は現役を引退する。


現役最終日のこの日、彼は、
完全試合のスコアブックのコピーに次のようにしたためる。


「門限破り二日後、迷惑おかけしました。
 ありがとうございました。槙原」
 ※上記の写真がそれ!!


今回の本の主人公は、槙原にペナルティを与えた人物でもある。
現役最終日に、槙原は詫び状兼感謝状を、彼に渡したのだった。


昨日は、この辺りのエピソードを中心に、
「選手から見た彼の印象」について語ってもらった。

想像通りの一面もあれば、意外な一面もあった。
いずれにしても、追加取材をした意味は十分あったと思う。

まだまだ、再構成の道は始まったばかり。
けれども、シーズン中ゆえに取材できなかった、
あの人やこの人など、追加取材を行いたい人はたくさんいる。

彼らの話をできるだけ加えて、より多面的で、
より中身の濃い物語を作っていきたいと思う。

不滅 元巨人軍マネージャー回顧録
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2011年09月13日

念願の王貞治氏インタビュー、そして残念なお知らせ……

野球にときめいて―王貞治、半生を語る
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明日、福岡・博多に行き、王貞治氏インタビューに臨む。
10月発売予定の新刊の最後の取材なのだが、
世界の王にゆっくりと話が聞けるという何とも至福の時を楽しみたい。


……と意気込んでいたのも束の間、残念なお知らせです。


この新刊、10月21日発売に向けて、一昨日原稿をほぼ書き終えた。
ところが、ここ二日、改めて通読してみたところ、どうもしっくりこない。

率直な思いを編集者に伝えると、やはり彼もそう思っていたのだろう、
発売を延期してもいいから、追加取材、全面改稿を認めてくれた。

現時点では、「ここをこうすればよくなるはずだ」という、
おぼろげな光は射し込んでいるものの、
じゃあ、具体的にはどんな取材が必要で、どう書けばいいのか、
正直なところ、ハッキリとは見えていない。

ということなので、いつまで発売延期するのか、
その具体的な日程もよくわからない。

関係各位に多大なる迷惑を書けてしまうけれど、
この恥ずかしい思いとともに、再度、挑戦してみたい。

いろいろお騒がせしてすみません。
改めて、頭を空にして練り直してみます。














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2011年06月18日

何も生み出せない日は、生み出すキッカケを作ろう。道具を磨くとか。

KREAM ルールなき世界のルールブック
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本日(17日)、懐かしい編集者2人と呑んだ。
諸事情があって、かつて彼らと一緒にやった仕事は、
アンハッピーエンドという結末に終わった。

理由はいろいろあるけれども、
強いて言えば3人とも、被害者だと僕は思っている。

で、本当に久しぶりに彼らと新宿で呑んだ。
かつてともに交わった人生の機微。
そして、今はそれぞれ別の道を歩んでいる。

でも、久しぶりの彼らとの邂逅を経て、
僕は、また彼らとの新たなつき合いが始まるという確信を得た。

それぞれの新しい道での、それぞれの新しい関係。


(……人生っていいな)


最近、しばしば痛感する想いを今日も感じられた。
新たなる出発点が、今日だったような気がする。



……で、今日の表題の


「何も生み出せない日は、生み出すキッカケを作ろう。道具を磨くとか。」


これは、先日インタビューしたKREVA氏の最新刊に出てくる言葉。


オレ、この言葉すごい好き!


今日、懐かしい人と呑みながら、この言葉が頭をよぎった。

2009年は、僕にとって暗黒の年だった。
でも、2009年に仕事が激減して笑えるぐらい収入が減ったときに、
あまりにもヒマすぎて、僕はいくつかの企画を立案した。

で、そのときに始めた企画が、いずれも今年書籍化される。


何も生み出せない日は、生み出すキッカケを作ろう。道具を磨くとか。


この言葉が改めて、身に沁みる。


09年の暗黒の原因は、実は件の彼ら2人にも一因がある。
彼らを責めるつもりはまったくないけれど、
でも、恩讐を超えて、再び始まる出会いもある。

そんなことを感じて、幸せな気分となった一夜となった。







shozf5 at 01:17|Permalink

2011年03月25日

19歳のアイドルと36歳の元アイドル。

清水寺 (2)

※先日訪れた、京都・清水寺!

昨日(24日)、久しぶりに一日3本というインタビューをした。
震災のために延期になっていた分と、もともと予定されていた分。

先週は、ヒマで仕方がなかったけれど、
おかげさまで今週は通常に戻りつつある。

今週は3日で、8人の女性にインタビューした。
ここ最近、女性にインタビューする機会が
めっきり減っていただけに、とても珍しい。

それぞれ別の企画なのだけれど、
重なるときには重なるものなのだろう。


で、昨日は午前中に、デビュー直後の売り出し中アイドル。
昼過ぎに、アラサー・売れっ子タレントさん。
で、夜は、いつもの「元アイドル連載」インタビュー。
慌ただしかったけれど、とても楽しい時間だった。


……それにしても。


僕は改めて「人生いろいろだなぁ」と痛感する。

午前中にインタビューしたアイドルは19歳。
夜にインタビューした元アイドルは36歳。


19歳のアイドルは、「明るい未来」を無邪気に信じていた。
そこで語られる言葉は、すべてが明るくみずみずしかった。

一方、36歳の元アイドルは、結婚、引退、離婚、復帰を経て、
「厳しい現実」を踏まえた上での現実的な発言が多かった。

とは言え、決して暗く、辛気臭い話ばかりではなかった。
さまざまな経験を経た上での言葉は重く、確かに胸に響いた。

そして、そこには今も失われていない往時の美しさと、
年齢を重ねたことで得た大人のおだやかさがあった。


19歳のアイドルと36歳の元アイドル。


現役アイドルには、その無邪気さが損なわれることのないように、
元アイドルには、自ら「第二の人生」と語る、
タレント人生第二章が、思い描いた理想のものとなるように。

漠然とそんなことを考えながら、帰路についた。
頭は疲れていたけれど、心地よい疲労感があった。


※追記・12.08.24
上に書いたものをまとめた新刊
『私がアイドルだった頃』が発売されました!
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2011年02月23日

続々と、資料が集まってきた!

続々、集まってきた!

現在、次の企画に向けて、手当たりしだい資料を集めているところ。
今回は、90年代、00年代のジャイアンツ関連をやろうかな、と。

55年以上前の「高橋ユニオンズ」関連と違って、
たかだか十数年前のできごとなので、
資料を集めるのが、とても簡単、簡単!

今は、いろいろな伝手を頼って、当時の新聞、雑誌、
さらにはDVDやビデオなどを入手しまくっている。

先日、長嶋監督の6時間近いドキュメンタリーDVDを見た。
現役時代の長嶋氏の動きに、一気に魅了されてしまった。


僕が物心ついたときには、ミスターは「長嶋監督」だった。
王さんの現役時代はよく覚えているけれど、
長嶋「選手」については、映像でしか見たことがない。

あんなに華麗で、ダイナミックで、ハラハラさせて、
そこにいるだけでカッコいいプレイヤーが増えれば、
「野球人気低迷」なんて、戯言は吹き飛んでしまうことだろう。

でも、僕は全然悲観していない。
有力選手がメジャーに行こうとも、
日本のプロ野球界は、まだまだ芳醇だ。

ダルビッシュもいれば、マエケンもいるし、
田中将大、斎藤佑樹、大田泰示、筒香嘉智、
T−岡田や岩本貴裕、由規などなど、
楽しみな逸材なら、いくらでも浮かんでくる。

……ちょっと話がそれてしまったけれど(笑)、
本格的な球春到来を前に、次なる企画に向けて、
新たなスタートを切ったという、ご報告でした!








shozf5 at 16:37|PermalinkComments(1)TrackBack(0)

2011年02月08日

ブルース・リーに蹴られた男


※「彼」が登場するのは、7分半過ぎからです。

昨日、フェイスブックにはアップしたのだけれど、
改めて、このブログでももう一度。

本日、これから高橋ユニオンズ連載で、
元プロ野球選手の方のお話を聞きに行く。

その方は、元プロ野球選手でありながら、
後に、ブルース・リーの映画に出演し、
何と、ブルース・リーと闘った経験もあるのだ!


現在、77歳のその方は、かつて毎日オリオンズに在籍し、
高橋ユニオンズ最後の試合の、最後のバッターとなった。

4対3でユニオンズが1点リードの9回裏。
2死満塁、打席に立ったのはこの人だった。
彼が1本打てば、ユニオンズのサヨナラ負けとなる。

……そして、この場面。

彼は三振に倒れて、ユニオンズの勝利が決まった。

翌年の春に、ユニオンズの解散が決まり、
結果的に、この試合がユニオンズ最後の試合となった。


さて、この「三振」。


「実は、故意に三振したのでは?」という話がある。


この試合にユニオンズが負けると、年間勝率が.350を下回り、
当時の規定でチームは、パ・リーグに
500万円の罰金を支払わなければならなかった。

前年も500万円を支払った「貧乏球団」ユニオンズは、
相手チームに懇願し、オリオンズも同情し、
オリオンズはこの試合の勝ちを譲った……。


……はたして、その真相は?


というのが、今回の取材の概要なのだが、
今日、お話を伺う方はまさにキーパーソンなのだ。



さてさて、前置きが長くなってしまったけれど、
彼は、数年後に現役を引退すると、
その後、映画会社・大映専属の役者となった。

で、『大魔神』の中身を演じることになった。
その後、勝新太郎に誘われ、勝プロに入り、
その縁で、香港に行き、ブルース・リーの映画に出演する。


・元プロ野球選手
・大魔神のスーツアクター
・勝新太郎に寵愛された男
・ブルース・リーに蹴られた男



……何て、壮絶な人生なのだろう(笑)。
お話を伺うのが楽しみ、楽しみ。












shozf5 at 09:46|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年12月24日

楽しい取材のその後に……

野村の「監督ミーティング」 (日文新書)
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ここ最近、取材&執筆の日々が続いていた。
夜は忘年会や慰労会などで楽しい日々。

さて、この12月は、楽しい取材ばかりだった。

特に印象に残っているのが、
美輪明宏氏、武田鉄矢氏、そして野村克也氏。
大御所取材ならではの若干の緊張が心地よかった。

野村監督の自著ではないけれど、
腹心から見た「野村ノート」という感じの
『野村の「監督ミーティング」』は楽しく読めた。
ヤクルトファンとしては90年代の選手たちの姿がよみがえってきた。

楽しい取材が終わり、いくつかは今週中に仕上げ、
いくつかは来年早々に原稿に取りかかる予定。

年内にあと2本書けば、無事に今年の原稿も終了(のはず)。
これが終われば、後は録画しておいた、
『ランボー』シリーズと『ロッキー』シリーズを見るだけ。

さて、今年も残り1週間。
みなさん、元気に過ごしましょうね!



shozf5 at 10:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)
PROFILE
SHOICHI HASEGAWA 
1970年5月13日・東京生まれ。
ノンフィクション・ライター
日々、旅をして、人に出会い、
話を聞き、それを文章にする。
そんな日々の雑感です。
長文になると思います。

ちなみに、上の写真は、
モハメド・アリ@北朝鮮です!
(07年3月1日付参照のこと・笑)
shozf5@gmail.com


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