2012年06月19日

15歳のプロ野球選手 〜太田浩喜の青春〜

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先週、3泊4日の日程で九州に行っていた。
ここ1年ほど続けている「太平洋・クラウンライオンズ」取材のため。

今回は4名の元選手、3名の元球団フロントに会い話を聞いた
貴重な証言以外に、当時の住所録、ファンブック、
根本陸夫監督によるミーティング資料など、
多くの資料を入手できたのが、今回の大きな収穫だった。

今回、お会いした「元選手」の中に太田浩喜氏がいる。
熱狂的なプロ野球ファンでも、
「えっ、太田浩喜?」という人がほとんどだろう。

彼は一試合も出場することなく、いや、
一度も正式な選手契約を結ぶことなく、
19歳という若さでユニフォームを脱いだ。

まったく野球経験のない陸上部の彼が、
クラウンライターライオンズの入団テストを受け、
見事に合格したのが、彼が中三、15歳のときのこと。


以後、定時制高校に通いながら、練習を続けた。
当時の記事には「中学生選手の奮闘」というフレーズが躍る。

当時、12球団一の貧乏球団と言われたクラウンライターライオンズ。
もっとも短期的な投資しかしてこなかったチームが、
初めて長期的な育成を主眼にした選手育成法だった。

「練習生」として、日々、グラウンドに立ち、
正式契約する日を待ち望んだ。

しかし、チームはその翌年、福岡を離れて西武に身売り
16歳の少年の運命は激変することとなった。
幸いにして、「高校卒業まではきちんと面倒をみる」
という当初の約束は、新チームになっても守られることになった。

学校転校の手続きをし、親元を離れ、少年は所沢にやってきた。

「高校卒業の3年後までに、高校野球部出身者よりも、
レベルが高くなっていたい」


そんな思いで練習を続けていたものの、
19歳の秋、解雇を告げられた……。

その後、南海、近鉄のテストに合格したものの、
諸事情から入団はかなわず、引退を決意。
受験をして、大学生として新生活を始めた。

大学では「元プロ選手扱い」ということで、
野球部に所属したとしても試合には出られない。
したがって、このとき太田は野球を断念した。

15歳でプロ野球の世界に身を投じた少年は、
19歳でプロ野球の世界から完全に離れた……。


あまりにも激変、激動過ぎる10代を、彼は過ごしていた――。



博多のホテルで彼に会った。
齢はすでに50歳となっていた。

彼はプロ野球の世界にどんな思いを抱いて、
その後の人生を過ごしてきたのか?

自分では抗うことのできない
大人の世界の中で過ごした10代の日々。
彼の中ではどんな思い出があるのか?
そんなことをテーマに、話を聞いた。

幸いだったのは、彼の中には、
恨みがましい感情も、後悔も微塵もなかったことだった。

たとえ正式契約はなされなくても、
1試合に出場していなくても、
それでも「自分はライオンズの一員だ」という想いにあふれていた。

彼の手元には、多くの思い出の品があった。
今回の取材に大いに役立つものばかりだった。

あの時代は誇るべき私の青春です

胸を張って語る太田の姿はあまりにも清々しかった。

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今回の物語では、彼もまた主要人物になるだろう。
「15歳のプロ野球選手」、その青春はぜひきちんと描きたい。















shozf5 at 11:59│ 取材・インタビュー…… 
PROFILE
SHOICHI HASEGAWA 
1970年5月13日・東京生まれ。
ノンフィクション・ライター
日々、旅をして、人に出会い、
話を聞き、それを文章にする。
そんな日々の雑感です。
長文になると思います。

ちなみに、上の写真は、
モハメド・アリ@北朝鮮です!
(07年3月1日付参照のこと・笑)
shozf5@gmail.com


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