2007年02月04日
またまたの、朝。新宿AM7時……
昨日、10数年来通っている、神楽坂の小料理屋夫婦と、
この店の常連さんたちと久しぶりに呑んだ。
いつもは、夫婦の店で肴をつまみながら呑んでいるのだけれど、
昨日は2人もお休みだったので、神楽坂の他の店で呑むことにした。
偶然だけれど、その店は僕が編集者時代に
何度かひとりで通った店だった。
山形訛りの気のいいお母さんと、寡黙なオヤジ、
そして舞台役者でもある息子が仲良く営業している店だった。
その後、僕は会社を辞め、神楽坂で呑むことが減るとともに、
その店に顔を出さなくなった。それから5年ほど経った。
久しぶりに訪れる店は、まったく変わっていなかった。
けれども、黙々と厨房で調理をしていたオヤジさんは亡くなり、
いつも大声で笑っていたお母さんは病に伏せているという。
店は、息子がひとりで切り盛りしていた。
山形の新酒を呑んでいるうちにすっかり気分がよくなってしまった。
5年のときを経て、元気に頑張っている息子の姿もよかった。
――当然の如く、呑みすぎてしまった……。
23時過ぎに小料理屋夫婦と別れた後、常連さんたちと連れ立ち、
神楽坂のバーに入った。……そこには、2時ぐらいまでいたかな?
その後は、お決まりのコース。
新宿まで出て、ゴールデン街をハシゴしてしまって、
気がつくと、AM7時……。
いつになったらこんな生活を改められるのだろう?
でも、改めるつもりがないうちは、
決して改まらないことも僕はよく知っている。
この店の常連さんたちと久しぶりに呑んだ。
いつもは、夫婦の店で肴をつまみながら呑んでいるのだけれど、
昨日は2人もお休みだったので、神楽坂の他の店で呑むことにした。
偶然だけれど、その店は僕が編集者時代に
何度かひとりで通った店だった。
山形訛りの気のいいお母さんと、寡黙なオヤジ、
そして舞台役者でもある息子が仲良く営業している店だった。
その後、僕は会社を辞め、神楽坂で呑むことが減るとともに、
その店に顔を出さなくなった。それから5年ほど経った。
久しぶりに訪れる店は、まったく変わっていなかった。
けれども、黙々と厨房で調理をしていたオヤジさんは亡くなり、
いつも大声で笑っていたお母さんは病に伏せているという。
店は、息子がひとりで切り盛りしていた。
山形の新酒を呑んでいるうちにすっかり気分がよくなってしまった。
5年のときを経て、元気に頑張っている息子の姿もよかった。
――当然の如く、呑みすぎてしまった……。
23時過ぎに小料理屋夫婦と別れた後、常連さんたちと連れ立ち、
神楽坂のバーに入った。……そこには、2時ぐらいまでいたかな?
その後は、お決まりのコース。
新宿まで出て、ゴールデン街をハシゴしてしまって、
気がつくと、AM7時……。
いつになったらこんな生活を改められるのだろう?
でも、改めるつもりがないうちは、
決して改まらないことも僕はよく知っている。