2015年06月

2015年06月19日

『2009年6月13日からの三沢光晴』、重版決定!



先週10日に発売された新刊『2009年6月13日からの三沢光晴』(主婦の友社)。おかげさまで、発売前から予約が殺到し、発売3日目となる12日にはすぐに重版、増刷が決定しました

また、多くの方からの反響、感想をいただき、作者としてとても嬉しく思っています。以下、いくつかご紹介させていただきますので、ご覧いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。


突き刺さる秒針の動きと、その後に息づく人間像――『2009年6月13日からの三沢光晴』を読んで
プロレスライターとして活躍中の鈴木健氏のブログです。こちらからどうぞ。

「2009年6月13日からの三沢光晴」を読んで
プロレスファンにはおなじみのキャスター・三田佐代子さんのブログです。こちらからどうぞ。

人間的な彼らのなんと魅力的なことか/2009年6月13日からの三沢光晴
漁師JJさんによる人気プロレスサイト「多重ロマンチック」です。こちらからどうぞ。


今後も、書評がいくつか掲載される予定です。随時、ご報告いたしますので、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

shozf5 at 09:20|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2015年06月18日

『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』文庫化決定!



不思議なこともあるもので、昨日、今日と高橋ユニオンズ関連の動きが、突然活発化している。

まずは昨日のこと。2011年に出版した拙著『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』はすでに絶版となっているのだけれど、大幅に加筆を行って、今秋に文庫化されることが決まった


4月に開催された「東京野球ブックフェア」において、「限定10部、最後の販売」と銘打って販売したばかりで心苦しいのだけれど、この「最後の販売」がきっかけとなって、ある編集者から「ならば文庫化しませんか?」とご提案を受け、本決まりとなった。

改めて、資料部屋からユニオンズの資料を引っ張り出していたところ、本日立て続けに2件もユニオンズ関連の出来事が。

1件は、高橋オーナーのお孫さんから「ユニオンズOBの連絡先が新たにわかりました」とのメール。そこには某選手の電話番号が書かれてあり、「長谷川さんのことも伝えてあります」とのこと。さっそく電話してみると、「いろいろとお話したいことがあります」というので、来週、ご自宅まで伺うことになった。


そしてもう1件は、以前取材した方から封書が届いた。そこには兵庫の丹波新聞の記事が同封されていた。今年の5月14日付のコラムに拙著が紹介されている記事だった。

あんなに地味な作品だったのに、それでもこうしてまだまだしぶとく息づいていることが嬉しい。この作品がなければ、今週発売の『極貧球団』も生まれなかった。出版から4年経って、突然の動きに驚いているけれど、僕にとっても思い入れの深い作品なので、新たな気持ちで取り組みたい。

以下、その新聞記事より。

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こちらは、今週20日発売の最新刊『極貧球団 波瀾の福岡ライオンズ』です。どうぞよろしくお願いいたします。



shozf5 at 15:39|Permalink 『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』関連 

2015年06月16日

『極貧球団 波瀾の福岡ライオンズ』、ついに発売!



先週10日発売の『2009年6月13日からの三沢光晴』に続いて、今週20日には『極貧球団 波瀾の福岡ライオンズ』が発売されます。

こちらは、1973〜76年まで存在した太平洋クラブライオンズ、そして77〜78年までのクラウンライターライオンズ、両チームの6年間を関係者40数名の証言で描いた物語です。

経営母体が脆弱で、「いつ潰れてもおかしくない」という状態の中で、関係者たちは奮闘を続けました。その中で、東尾修、基満男、竹之内雅史、真弓明信、若菜喜晴、永射保、ビュフォード、レポーズ、ハワードら、個性的な選手を多く輩出しました。

話題作りのために、ロッテとの遺恨騒動を演出。当初はうまくいっていたものの、やがて制御不能の混沌とした状態に陥ったこともあれば、アメリカの名将、レオ・ドローチャー招聘をぶち上げたものの、オープン戦が始まっても来日せず、結局、監督就任断念の憂き目を見たこともありました。


弱ければ、弱いなりに思い切ったプレーをしようという選手の矜持。貧しければ、貧しいなりに話題を生み出し、少しでも観客動員につなげたいというフロントの奮闘。「九州の田舎球団」と言われながらも、選手たちはたくましく戦い続ける。


弱く、貧しく、たくましく――。


西鉄ライオンズと西武ライオンズ、二つの名門球団に挟まれた太平洋クラブ、クラウンライター。この苦難の6年間があればこそ、後の栄光がありました。野球史において、ほとんど顧みられることのない6年間にスポットを当てた物語。どうぞ、ご覧下さい!


shozf5 at 11:59|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2015年06月09日

新刊『2009年6月13日からの三沢光晴』発売です!



早いもので三沢さんが亡くなって、今度の6月13日で6年が経つ。七回忌に向けて、新刊『2009年6月13日からの三沢光晴』(主婦の友社)が6月10日に発売される。

あの日、現場にいたレスラー、マスコミ、そしてご遺族の許可を得たうえで、三沢さんの最期を看取った3人の医師たちに話を聞いて、「あの日の三沢光晴」と、「あの日からの三沢光晴」を描いた。


リング禍が起きた6月13日午前2時、三沢さんは「ある女性」に電話をかけていたことが関係者への取材でわかった。この電話から始まり、三沢さんが亡くなった翌朝までを描いた第一部。

そして、「あの日」から6年が経ち、遺された人々の中に今も息づいている「三沢イズム」を描く第二部。

第一部を聞く場面では、取材をしていて、何度も息苦しくなった。思い出したくない過去を蒸し返す心苦しさもあったし、三沢さんが亡くなる経緯が生々しくもあったからだ。

一方の第二部においては、6年が経つというのに、それぞれの人々の中に有形無形で「三沢の教え」が息づいているのがよくわかった。

本書では「三沢さんの死」を通じて、今も多くの人に影響を与え続けている「三沢さんの生」を描いたつもりだ。

ぜひ、多くの人に読んでもらいたいと心から願っています。どうぞよろしくお願いいたします。


以下、「アマゾン」の内容紹介より。


稀代の名レスラー・三沢光晴がリング上の事故で命を落とした2009年6月13日。当日、会場にいた選手、マスコミ、そして治療にあたった医師の証言から、あの日起こった出来事の真相に迫る。死因は即死とも思われる頸髄離断だったが、ICUでは一度心拍が再開していたという。広島大学病院の救命医があの日のICUでのことを初めて明かす。そして最後の対戦相手となった齋藤彰俊は事故から数カ月後、三沢が生前に残したメッセージを受け取っていた。「社長からのメッセージを受け取って、すべて受け止めて現役を続けるという自分の決断は間違っていないと思えました」という齋藤は「答えは自分で見つけろ」という三沢のメッセージを胸に今も歩み続けている。また、小橋建太、潮豪、丸藤正道、鈴木鼓太郎、浅子覚、西永秀一ら深い関係を持つ人物たちにとって2009年6月13日からの三沢光晴はどう息づいているのか? 

目次

序 章 三沢光晴からの電話

【第一部 2009年6月13日の三沢光晴】
第一章 午後三時、会場入り
第二章 午後八時四三分 バックドロップ
第三章 午後一〇時一〇分 最期の瞬間
第四章 翌朝七時、齋藤彰俊の決断
第五章 それぞれの六月一四日

【第二部 2009年6月13日からの三沢光晴】
第六章 二〇一五年、春――あれから六年
第七章 レスラーたちのそれから
第八章 三沢光晴からの伝言

終 章 オレのマブダチ


shozf5 at 21:29|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 
PROFILE
SHOICHI HASEGAWA 
1970年5月13日・東京生まれ。
ノンフィクション・ライター
日々、旅をして、人に出会い、
話を聞き、それを文章にする。
そんな日々の雑感です。
長文になると思います。

ちなみに、上の写真は、
モハメド・アリ@北朝鮮です!
(07年3月1日付参照のこと・笑)
shozf5@gmail.com


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