2012年06月

2012年06月26日

女子野球日本代表、「華の1991年組」

華の91年組

6月23、24日にかけて、埼玉・尚美学園大学で行われた、
女子野球日本代表「マドンナジャパン」合宿について、もう少し。

かつて、『1991年生まれは、女子球界の「松坂世代」か?』
題するエントリーを書いたことがある。(07.09.24)

それは、昨日も触れた、埼玉栄高校の
実力派1年生たちを見て感じた思いだった。

新宮有依、磯崎由加里、六角彩子の3人はとにかく光っていた。
この3人は、それぞれが順調な成長曲線を描き、
現在では、それぞれが代表チームに欠かせない戦力となった。

最終的には20名まで絞られることになるが、
現在の日本代表候補選手は、全24名。

この24名の中に、91年世代がどれぐらいいるのか?
改めて、確認をしてみると、
91年生まれ、92年早生まれの選手は6名いた。

・新宮有依(平成国際大学)
・磯崎由加里(尚美学園大学)
・六角彩子(侍)
・直井友紀(侍)
・大山唯(尚美学園大学)
・三浦伊織(京都アストドリームス)


上の写真は、全日程終了後、
帰り支度をしているところを撮らせてもらった。

左上から、直井、磯崎、新宮、
左下から、六角、三浦の5名の選手。
大山選手も呼ぼうと探したけれど、
近くにいなかった、残念(笑)。
ということで、大山選手の単独写真を。

大山唯


この中で唯一のプロ・三浦選手は、
神業としか言いようのないバットコントロールが身上。

早い段階でトップを作る独特のフォームと、
ヘッドが遠回りしているように見えながらも、
まったく力まず、脱力感たっぷりで
常にボールとバットがフラットに接触する、
唯一無二の打撃センスはとっても魅力的だ。

直井選手は、「どこまでこの子は元気なんだ」という、
ムードメーカーとしての役割を任じつつ、
パワフルな打撃と全力プレーがとても魅力的。
彼女がグラウンドにいるだけで、ついつい視線が行ってしまう。

大山選手は、中学生の頃から日本代表メンバー入り。
僕も含めて、協会スタッフたちも、どうしても、
彼女のことを中学生だった頃のイメージで見てしまいがちだが、
率先して練習準備、撤去作業をしたり、選手に指示を出したり、
グラウンド内外のリーダーシップがとっても光る。


6人6様のプレースタイル、個々のパーソナリティー。
彼女たちは、カナダでどんな活躍を見せてくれるのか?
ケガには気をつけて万全な体調でカナダに臨んでほしい。



実は、1989年世代も、

・山崎まり(アサヒトラスト)
・里綾実(福知山成美高コーチ)
・中村茜(兵庫スイングスマイリーズ)
・川端友紀(京都アストドリームス)


と、タレントぞろいなのだが、それは別の機会に触れるとしよう。



shozf5 at 09:55|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2012年06月24日

3人の女子球児、5年間の成長の軌跡

まずは、以下4枚の写真を見てほしい。

24

26 (2)

08

24 (2)


おわかりだろうか、3人の女子野球選手たちの、
5年間の姿を断続的に撮影した写真群である。

この3人は女子野球の名門・埼玉栄高校の同級生だ

写っているのは、左から、新宮有依(平成国際大学)、
磯崎由加里(尚美学園大学)、六角彩子(侍)。

現在、新宮、磯崎両選手は日本を代表する好投手だし、
六角選手は10年のW杯でMVPを獲得した世界的な選手だ



僕の手元に残っているデータを見ると、

1枚目は07年09月24日@埼玉・指扇撮影。
2枚目は09年08月26日@兵庫・市島撮影。
3枚目は10年10月28日@東京・浜松町撮影。
4枚目は12年06月24日@埼玉・川越撮影。


およそ5年の間に撮影された4枚の写真。
改めて、仔細に眺めてみると実に感慨深い。

3人の身長順はまったく一緒だけれど、
それぞれが精悍ないで立ちに変わっているのがよくわかる。

最初の撮影時、彼女たちはまだ高校1年生で、
2枚目は高校3年夏、最後の大会の直後、
3枚目は第4回ワールドカップ祝勝会会場にて、
そして4枚目は、今日の日本代表合宿にて撮影した。


5年前、埼玉栄のグラウンドで初めて彼女たちを見たとき、

「なんて、すごい選手たちなんだ!」

と、心から驚き、3人に並んでもらい写真を撮らせてもらった。

その後、彼女たちはそれぞれに期待通りの成長を見せ、
それぞれが日本代表選手として華々しい活躍を続けている。

この仕事を続けていて、とても楽しいのは、
一度、取材をした相手と継続してつき合うことができる点にある。


今夏、カナダ・エドモントンにて第5回女子野球W杯が行われる
不測の事態さえ起こらなければ、彼女たち3人は、
日本代表最終メンバー20名に選ばれ、
カナダの地で、日の丸を背負って活躍してくれるはずだ。

新谷博監督(元西武など)率いる「マドンナジャパン」は、
W杯史上初の大会3連覇を目指して、最終調整中だ。

もちろん、僕もカナダに行くつもりだ。

そして、3連覇の歓喜の中、カナダの地で、
僕は彼女たちの「5枚目の写真」を撮るつもりでいる。




shozf5 at 21:25|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2012年06月22日

男が涙を流すとき 〜岩本勉のあふれる想い〜

涙

インタビュー中に、取材相手が涙を流すことがしばしばある。

女性アイドルの取材をしているときなどは、
お世話になった恩師や両親の話題になったときに、
あるいは、不遇の時代を思い出したときに、
《彼女》たちは、瞳を潤ませたり、涙をこぼしたりした。

女子野球選手に話を聞いているときには、
ケガや不調に苦しんだ時期について、
男子との間で疎外感を覚えたときについて、
苦しかった時期の話を聞くときに涙を見た。

一方、インタビュイーが男性の場合には、
なかなか「涙」と遭遇する機会は少ない。

しかし、つい先日のインタビューで、「男の涙」を久しぶりに見た。

それが、元日本ハムのエース・岩本勉の涙だった。

以前にも書いたように、1989年の夏、当時阪南大高校の3年だった
岩本は、下級生による不祥事で大阪府予選に出場できなかった。

当時の新聞に「高校球界期待の新星」と紹介されていた岩本は、
突然、「18歳の夏」を奪われることとなった。

数年前に、「あの夏のことは今でもよう思い出すんですよ」
岩本から聞いていた僕は、改めて取材をして、
その顛末を『高校野球小僧2012春号』で書いた。

高校野球小僧 2012春号
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幸いにして、読者からの反響も大きく、
僕自身も「もっと書きたい」と思っていたこともあって、
続編を書かせてもらえることになった。

今回は、前回触れることのできなかった高校時代の恩師、
そして岩本を支え続けた両親に話を聞いて、続編を描いた。

そして、「岩本勉の失われた夏 第2章」は、22日発売の
『高校野球小僧2012夏号』に掲載されることとなった。

高校野球小僧 2012夏号
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この取材中、僕は「男の涙」を目撃することとなった。
久しぶりに酒を酌み交わしながら、岩本に話を訊いた。
このとき、岩本は涙をこぼした。

それは、「あの夏」を悔やむような悔し涙ではなく、
それまで知ることのなかった「友の想い」を知った嬉し涙だった。


あの夏の不祥事の結果、チームメイト19名は、
みな野球から離れた生活を送っていた。

同級生19名は、岩本に自分の夢を託していた。
ドラフト当日、キャプテンは大声で言った。


「岩本のドラフトは、オレらのドラフトや!」


この想いは、岩本がプロに入ってからも変わらなかった。


「岩本の活躍は、オレらの活躍や!」


「18歳の夏」を失ったことで、彼らの結束はより固まっていた。


しかし、彼らは岩本に対して「ある隠し事」をしていた。
取材で明らかになったその「隠し事」を岩本に伝えた。

その瞬間、グラスを持つ岩本の手が震え、
その瞳に、熱いものがみるみるうちにたまった。

「……ホンマですか? あいつら何をイキっとんねん。
あぁ腹立つ、彼がいちばん怒ってたんですよ、
なのに……。カッコよすぎるわ、あいつら……」


懸命に涙をこらえている岩本の姿を見ていて、
僕もまた、涙がこぼれそうになっていた。

同級生たちは岩本に何を隠し、
岩本は同級生たちの何に感激したのか……。

パブリックイメージの「明るいガンちゃん」とは違った、
気ぃ遣いで繊細な側面が、岩本にはある。
そんな一面をぜひ、知ってもらいたいという想いが僕にはある。

もし、よかったら、ぜひご一読いただけたら幸いです。








shozf5 at 10:00|Permalink 忘れられぬインタビュー 

2012年06月20日

15歳のプロ野球選手 〜太田浩喜の青春〜 その2

img157

昨日書いた15歳のプロ野球選手に、思わぬ反響があった。
「もう少し、詳細を教えてほしい」との声が多かったので続きを。


資金難にあえいでいたクラウンライターライオンズが、
「金がないなら有望選手は自ら作ろう」という目的の下、
当時15歳、中学3年生だった少年2人を獲得。
「練習生」という名目の下、英才教育を施そうとした。

それが、1977年秋のことだった。

しかし、チーム運営は、すでに深刻な状態にあった。
何とか78年シーズンは持ちこたえたものの、
その年のオフには、チームは身売りを決意。

チームを引き受けることになったのは西武だった。
球界一の貧乏球団から、有数の裕福な球団へ

博多から所沢への移籍はあったものの、
多くの選手たちにとっては、望むべき身売りだった。

しかし、当時「16歳の練習生」にとっては、
それは運命の激変のプロローグでもあった。


福岡の定時制高校に通いながら練習を続けていた
2人の練習生は、埼玉の学校に転校し、
新生・西武で練習を続けることになった。

球団からは「高校卒業までは面倒をみる」と言われていた。
けれども、その後の保証は、何もなかった。

正式契約を結んでいないから、2軍の試合にも出られなかった。
もっぱら、非公式の練習試合や紅白戦に出場しながら、
日々の練習に励んでいた。
少しずつ、少しずつ結果が伴いつつある実感があった。

しかし、新生チームは新しい人材を欲した。
幸いにして、選手獲得資金は潤沢にあった。
高校、大学、社会人の有望選手が続々入団。

少しずつ、「練習生」の居場所はなくなっていく。
そして、プロ入り4年目のオフ、自由契約通告。
チームは廣岡達朗監督を招聘し、心機一転を決めていた。


1軍出場ゼロ。2軍出場もゼロ。
それがプロ4年間の全記録だ。



だからと言って、太田の人生がゼロの人生であるはずがない。

退団後、大学進学を決意し、見事に大学に入学。
卒業後に、西鉄関連会社に勤めることになったのも、
「ライオンズとの因縁」を感じさせる。

幸せな結婚をし、子どもにも恵まれた。
しかし、若くして、妻には先立たれることになった。
それでも、男手ひとつで子どもたちを育てた。
太田は言う「いろいろ辛いこともあったけど、幸せです」と。


昨日のエントリー記事を読んで、太田から連絡をもらった。

プロ野球界の素晴らしい方々との出逢いで
充実した第2の人生を送る事が出来ております。

15才の時の選択は間違ってはいませんでした!
今は、胸を張ってそう言えます


この文面を読んで、何とも言えない気持ちになった。



太田浩喜についての詳細は、7月10日発売の『野球小僧』
連載「太平洋&クラウンライターライオンズの姿を追って」、
この第5回に掲載するつもり。もしよかったら、ご覧ください。

img154

※左が太田、右が同じく練習生の吉田大介








shozf5 at 11:26|Permalink 取材・インタビュー…… 

2012年06月19日

15歳のプロ野球選手 〜太田浩喜の青春〜

DSCN1916

先週、3泊4日の日程で九州に行っていた。
ここ1年ほど続けている「太平洋・クラウンライオンズ」取材のため。

今回は4名の元選手、3名の元球団フロントに会い話を聞いた
貴重な証言以外に、当時の住所録、ファンブック、
根本陸夫監督によるミーティング資料など、
多くの資料を入手できたのが、今回の大きな収穫だった。

今回、お会いした「元選手」の中に太田浩喜氏がいる。
熱狂的なプロ野球ファンでも、
「えっ、太田浩喜?」という人がほとんどだろう。

彼は一試合も出場することなく、いや、
一度も正式な選手契約を結ぶことなく、
19歳という若さでユニフォームを脱いだ。

まったく野球経験のない陸上部の彼が、
クラウンライターライオンズの入団テストを受け、
見事に合格したのが、彼が中三、15歳のときのこと。


以後、定時制高校に通いながら、練習を続けた。
当時の記事には「中学生選手の奮闘」というフレーズが躍る。

当時、12球団一の貧乏球団と言われたクラウンライターライオンズ。
もっとも短期的な投資しかしてこなかったチームが、
初めて長期的な育成を主眼にした選手育成法だった。

「練習生」として、日々、グラウンドに立ち、
正式契約する日を待ち望んだ。

しかし、チームはその翌年、福岡を離れて西武に身売り
16歳の少年の運命は激変することとなった。
幸いにして、「高校卒業まではきちんと面倒をみる」
という当初の約束は、新チームになっても守られることになった。

学校転校の手続きをし、親元を離れ、少年は所沢にやってきた。

「高校卒業の3年後までに、高校野球部出身者よりも、
レベルが高くなっていたい」


そんな思いで練習を続けていたものの、
19歳の秋、解雇を告げられた……。

その後、南海、近鉄のテストに合格したものの、
諸事情から入団はかなわず、引退を決意。
受験をして、大学生として新生活を始めた。

大学では「元プロ選手扱い」ということで、
野球部に所属したとしても試合には出られない。
したがって、このとき太田は野球を断念した。

15歳でプロ野球の世界に身を投じた少年は、
19歳でプロ野球の世界から完全に離れた……。


あまりにも激変、激動過ぎる10代を、彼は過ごしていた――。



博多のホテルで彼に会った。
齢はすでに50歳となっていた。

彼はプロ野球の世界にどんな思いを抱いて、
その後の人生を過ごしてきたのか?

自分では抗うことのできない
大人の世界の中で過ごした10代の日々。
彼の中ではどんな思い出があるのか?
そんなことをテーマに、話を聞いた。

幸いだったのは、彼の中には、
恨みがましい感情も、後悔も微塵もなかったことだった。

たとえ正式契約はなされなくても、
1試合に出場していなくても、
それでも「自分はライオンズの一員だ」という想いにあふれていた。

彼の手元には、多くの思い出の品があった。
今回の取材に大いに役立つものばかりだった。

あの時代は誇るべき私の青春です

胸を張って語る太田の姿はあまりにも清々しかった。

DSCN1923


今回の物語では、彼もまた主要人物になるだろう。
「15歳のプロ野球選手」、その青春はぜひきちんと描きたい。















shozf5 at 11:59|Permalink 取材・インタビュー…… 

2012年06月11日

あれから23年 〜1989年岩本勉の失われた夏〜

岩本・種田

※写真は八尾北リトル時代の岩本勉氏(中央)、左隣は種田仁氏

1989年、平成最初の夏――。
大阪・阪南大高校野球部は2年生部員の不祥事のために、
直前に控えた大阪府予選大会出場辞退を余儀なくされた。

3年生20名の中には、後にプロで活躍する岩本勉がいた。
大会直前には「高校球界癸臼ο咫廚粒荵が躍るほど、
活躍が期待された逸材は、一度もマウンドに立つことなく、
高校最後の夏を不完全燃焼のまま、終えることになった。


あの夏のことは、今でもよう思い出すんですよ……


岩本勉からそんな話を聞いたのは、
数年前に一緒にアメリカに取材に出かけたとき、
サンフランシスコだったか、シアトルだったか、
定かではないけれど、アメリカの空港のカフェでだった。

この一件は、僕の中でずっと引っかかっていた。

その後、何かのついでに当時の新聞記事を集め、
当時の雑誌を読み、大体の概略はつかんでいた。

それでも、「よし取材しよう」という踏ん切りがつかず、
ずるずると数年が経ってしまっていた。


そして、今年の年明け。


旧知の編集者に「何か企画はない?」と問われたときに、
この一件を思い出して、「実は……」と切り出すと、
「じゃあ、それで8P書いて下さい」と、すぐに依頼を受けた。

そこで改めて岩本本人と、当時のチームメイト2名に会い、
事の顛末をまとめ、『高校野球小僧2012春号』に原稿を書いた。

高校野球小僧 2012春号
高校野球小僧 2012春号
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幸いにして、話を聞かせてもらった人たちから喜んでもらえ、
編集部からも「読者の反響が大きいです」
連絡をもらって、僕自身も喜んでいた。
そして、嬉しいことに「次号でも続きを」と依頼を受けた。

率直に言えば、「まだまだ書き足りない」という、
そんな思いが、僕の胸の内には、確かにあった。

取材をしていて、新たな発見がたくさんあったからだ。

僕が事前に予想していたよりも、3年生20名の絆は遥かに強く、
彼らが、事件を起こした《彼》のことを許していたことも意外だった。


また、明るいキャラクターとは裏腹な岩本自身の複雑な家庭環境、
彼自身が背負っている宿命、そして翳。
そして岩本以外の19名たちの「それぞれのその後」など、
多くのドラマが、まだまだ眠っていることに魅せられた。


6月22日に発売される『高校野球小僧2012夏号』では、
岩本の両親、母校・阪南大高の監督、コーチに話を聞き、
前回とは違った側面から、「1989年の夏」を描いてみた。

高校野球小僧 2012夏号
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先週、岩本勉と久しぶりにゆっくりと酒を酌み交わした。
改めて「あの夏」の話になり、改めて当時の想いを聞いた。

僕は一連の取材で明らかになったことを岩本に伝えた。
チームメイトたちは岩本に対して、さまざまな気遣いをしていた。
僕の発言を受けて、岩本からは新しい事実がもたらされた。

「春号」で最初の物語を書き、「夏号」で続きを書き、
それで、一段落かなと思っていたけれど、
実は、これから長い取材が始まるのだと、今は思っている。

会いたい人、会わなきゃならない人がたくさんいる。
はたして、連絡先がわかるのか、そして会ってくれるのか?

また新しい旅が始まりそうな、そんな予感がしている。
新たな旅が始まる静かな高揚感が、今、確かにある。










shozf5 at 11:00|Permalink 取材・インタビュー…… 

2012年06月05日

『プロレスラー名鑑全集』で思いを馳せる……

プロレスラー名鑑全集 1990-2000 20世紀編 永久保 (B・B MOOK 801 スポーツシリーズ NO. 671)
プロレスラー名鑑全集 1990-2000 20世紀編 永久保 (B・B MOOK 801 スポーツシリーズ NO. 671)
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かつて、『週刊プロレス』の熱心な読者だった。
時代にして88年頃から93年頃までかな?
ちょうど、僕の高校〜大学時代だった。

アントニオ猪木、ジャイアント馬場は現役で、
長州、藤波、鶴田、天龍も現役バリバリだった。

前田、高田、藤原、船木らがUWFで革命を起こし、
大仁田はインディー街道を突っ走っていた。

余談になるが、馬場・猪木を「GI砲」と呼ぶのに対して、
長州力以下の4人が「鶴藤長天(格闘頂点)」と名づけられたが、
あんまり定着しなかったことも懐かしい(笑)。

この頃は、東京ドーム大会はもちろん、両国国技館、
日本武道館、そして後楽園ホールに、いつも駆けつけていた。

元々、猪木信者であったけど、団体に関わらず、
都内でプロレスがあればいつも見に行っていた。

プロレスラー名鑑全集 2001-2010 新世紀編 永久保存 (B・B MOOK 793 スポーツシリーズ NO. 663)
プロレスラー名鑑全集 2001-2010 新世紀編 永久保存 (B・B MOOK 793 スポーツシリーズ NO. 663)
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『週刊プロレス』では、年始の「選手名鑑号」が印象に残っている。
当時買っていた号は、ほとんど捨ててしまったけど、
この名鑑号だけは、今でもきちんと保管してあるほどだ。

で、最近、この「名鑑号」だけを一冊にしたムックが発売された。
先日、ベースボール・マガジン社を訪れた際に、
お世話になっている編集長が、このムックをプレゼントしてくれた。

「1990〜2000年・20世紀編」
「2001〜2010年・新世紀編」


……いやぁ、懐かしい、懐かしい、懐かしい。
ページを繰るごとに、あの頃がよみがえってくるようだ。

大好きなレスラーのプロフィールを確認するところから始まり、
消えては生まれるインディー団体の興亡に思いを馳せたり、
年を重ねるごとにどんどん表情が変わっていく様に感嘆したり、
まったく飽きることなく、しばらくの間、眺め続けてしまった。

……それにしても、物故者の多いこと、多いこと。

ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、三澤光晴、ラッシャー木村、
橋本真也、上田馬之助、冬木弘道、山本小鉄、ジョー樋口、
星野勘太郎、剛竜馬……(順不同)


身体を張って、命を削って、興奮させてくれた
偉大なプロレスラー&レフェリーたちに改めて感謝。

全日本プロレス外国人選手大図鑑 (B・B MOOK 810 スポーツシリーズ NO. 680)
全日本プロレス外国人選手大図鑑 (B・B MOOK 810 スポーツシリーズ NO. 680)
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全日本プロレス来日外国人ばかりを集めたこのムック。
こちらも、やはり物故者が多くて切なくなる。

テリー・ゴディが亡くなったのは01年、彼が40歳のとき。
スティーブ・ウイリアムスが亡くなったのは09年。
ザ・シークがこの世を去ったのは03年、76歳。
ビガロも、オブライトも、アンドレも、もういない……。
資料部屋から、昔のビデオ、DVDを引っ張り出してみよう……。


shozf5 at 18:28|Permalink 映画、音楽、そして本 
PROFILE
SHOICHI HASEGAWA 
1970年5月13日・東京生まれ。
ノンフィクション・ライター
日々、旅をして、人に出会い、
話を聞き、それを文章にする。
そんな日々の雑感です。
長文になると思います。

ちなみに、上の写真は、
モハメド・アリ@北朝鮮です!
(07年3月1日付参照のこと・笑)
shozf5@gmail.com


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