2012年08月13日

【マドンナジャパン】カナダ奮戦記・その3

小西・試合前

現地時間11日13時半、ついに日本にとっての
今大会初戦となるオランダ戦がスタートしました。

初戦のマウンドを託されたのが、投手陣最年長の小西美加。
前日にこの日の先発を告げられた小西投手は、
午前中に行われた全体練習でも別メニューで、
協会理事長でもある大倉孝一氏から、
入念なマッサージを受け、注目のマウンドに上がりました。

試合前ミーティング


注目の初戦、スターティングメンバーは、

1番・三浦伊織(8)
2番・六角彩子(5)
3番・川端友紀(6)
4番・西朝美(2)
5番・中村茜(7)
6番・金由起子(3)
7番・大山唯(DH)
8番・志村亜貴子(9)
9番・中野菜摘(4)

P・小西美加


前日にはアメリカに0−10でコールド負けしたオランダは、
正直なところ、かなり格下であることは否めません。

勝利は手堅いところでしたが、問題は勝ち方です。
9日間で9連戦という過酷な日程を余儀なくされた
日本チームに勢いづかせるためにも、
完膚なきまでに叩きのめす戦いを、僕は期待していました。

球場全景


しかし、日本選手20名たちは、僕の期待や事前の想像を
はるかに上回る、たくましさを身につけていました。

1回表、1番の三浦から8番・志村まで、
3四死球を含めた5連打の猛攻を見せます。
打者一巡の怒涛の攻撃で初回に9点を挙げました。

前夜、新谷博監督がポツリと言いました。


「しかし、今回の日本打線は相当なものだぞ」と。


僕は、目の前の超破壊的打線を見ていて、
ふと、この言葉を思い出しました。

しかし、人間の欲というのは限りないものです。
大充実の攻撃陣に満足しながらも、
さらなる欲求が芽生えてきます。

(ここは、何としてでも完封勝利を!)

そして、小西投手はその期待に応えてくれました。
初回にピンチを作ったものの、後続を抑えて、
無事に切り抜けると、見事に0封。

4回からは代表初選出の吉井萌美投手が、
マウンドに上がり、見事な投球を披露しました。

吉井


結局、試合は21対0という大勝利に終わりました。
打撃陣は容赦のない攻めを見せ、
ベテランと新人の2人の投手が、
大量得点に気を許すことなく見事に試合を締めました。

試合後、吉井投手に話を聞くと、


「マウンドに上がるときには緊張しなかったんですけど、
最初の打者を抑えて、(よし、いける!)と思ったら、
2人目の打者のときから手が震えてきて、
緊張がとまりませんでした(笑)」



と笑顔で答えてくれました。
ちなみに、現地時間11日ということは、日本は12日。
8月12日は吉井投手の19回目の誕生日。

記念すべき代表デビューと自身のバースデーを、
堂々たるピッチングで、自ら祝福しました。



……さぁ、現在は12日の午前11時前。
注目の第2戦・アメリカ戦が19時半から行われます。
今日は昨日のような試合運びはできません。

日本チームはどんな戦いを見せるのか?
引き続き、当ブログで続報をお届けします。


追伸
宿舎に戻った後、吉井投手のバースデーケーキが
サプライズで用意されていました(笑)。







shozf5 at 01:53|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2012年08月12日

【マドンナジャパン】カナダ奮戦記・その2

開会式 (2)


現地時間10日、カナダ・エドモントンにて、いよいよ
第5回女子野球ワールドカップが開幕しました。

初戦の相手だったベネズエラはビザの発給遅延のため、
開幕までに入国することができず、急遽15日に変更に。

ということで、この日は午前中はアメリカ対オランダ戦偵察、
昼からは場所を移して約2時間の練習、再び球場に戻った後に、
オーストラリア対キューバ戦を観戦し、開会式に臨みました。

開会式


やはり、日の丸を背負った選手たちの姿はりりしく、
「ようやく始まるな」と、僕自身も気持ちを新たにしました。

新谷監督・清水コーチ


また、開会式が始まる前に、10分程度でしたが、
グラウンドチェックを行うことができました。

芝目と芝の長さ、マウンドの傾斜と堅さ、ボールの跳ね方……、
選手たちはこうした確認作業に余念がありませんでした。

磯崎・新宮マウンドチェック


グラウンドチェック


開会式終了後、新谷監督と清水コーチはそのまま球場に残り、
本日の第3試合のカナダ対台湾戦を視察。

宿舎に戻ったのは23時前のことでした。
何も食べていなかったため、空腹状態でしたが、
新谷監督自ら「オレが作るよ」と台所へ。

新谷監督厨房に!


「学生時代以来だよ(笑)」と笑いながらも手際よく、
白身魚のソテーにニンニクをまぶしたり、肉を焼いたり。
大会本番に向けての、ささやかな決起集会となりました。

……ちなみに、メチャクチャうまかったです。
これが、実にビールに合いました(笑)。


さて、ただいま、現地時間の11日朝の9時。
本日は、日本チームにとっての初戦となる、
対オランダ戦が13時半から行われます。

注目の初戦先発は、「あの人」です。
予告先発制ではないので、発表は差し控えますが、
頼りになる好投手の力投に、ぜひ期待したいと思います。

引き続き、「その3」で続報をお伝えします!
頑張れ、マドンナ・ジャパン!!






shozf5 at 00:13|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2012年08月11日

【マドンナジャパン】カナダ奮戦記・その1

08・出国前・全員集合

8月10日から、カナダ・エドモントンにて、
第5回女子野球ワールドカップ(W杯)が始まりました。

日本代表チーム20名は日本時間8日に、出国。
現地時間8日に、無事にカナダの宿舎に到着しました。
僕も、選手たちと一緒に、無事にカナダ入りしました。

翌9日午前中には、簡単な練習を行い、
それぞれ最終調整に励みました。
選手たちは、表情も明るく、みな元気そうです。

そんな中、「マドンナ・ジャパン」を率いる新谷博監督は、
明るい笑顔の中にも、時折緊張感をにじませる瞬間があり、
来るべき本番に、緊張と重圧を背負っている印象を受けました。

10日に行われる予定だったベネズエラとの初戦は、
ベネズエラのビザ承認、出国が遅れたために、
15日に延期されるという、いきなりのハプニング。

これによって日本チームは決勝リーグまで勝ち進めば、
9日間で9試合を行うという、事態を迎えました。
アウェイの洗礼を含め、まだまだ予断は許せません。



……ただいま、現地時間10日午前11時前です。
通信環境が不安定であまり更新できませんでしたが、
ようやく何とかなりそうなので、明日以降、
折に触れて、写真とともに更新していく予定です。


選手や監督たちと同じ宿舎に泊まっているため、
精力的に取材をし、大会終了後には、
まとまった形で発表したいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします!




shozf5 at 01:49|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2012年07月23日

女子野球日本代表・最終メンバー20名決定!

0721〜22・松山合宿・全員集合

7月21〜22日にかけて、松山・坊っちゃんスタジアムで、
女子野球日本代表合宿が行われた。

これまでの代表候補24名から、最終20名に絞る大切な合宿。
選手たちは、それぞれ万全の体調、気合い充実で臨んでいた。

そして、昨日、代表20名が発表された。
注目されていたプロ選手5名は、全員代表入り

0721〜22・松山合宿・プロ五名

代表入りしたプロ5選手たち。左から、田中幸夏(兵庫)、小西美加(大阪)、中村茜(兵庫)、三浦伊織(京都)、川端友紀(京都)


以下、日本女子野球協会ブログ、情熱女子野球からの引用。

【投手】
新宮 有依(平成国際大学 女子硬式野球部)
中島 梨紗(侍)
吉井 萌美(平成国際大学 女子硬式野球部)
磯崎由加里(尚美学園大学 女子硬式野球部)
里  綾実(福知山成美高校 女子硬式野球部コーチ)
小西 美加(大阪ブレイビーハニーズ)

【捕手】
西  朝美(アサヒトラスト)

【内野手】
中野 菜摘(尚美学園大学)
新井 純子(尚美学園大学 女子硬式野球部)
出口 彩香(尚美学園大学 女子硬式野球部)
川端 友紀(京都アストドリームズ)
田中 幸夏(兵庫スイングスマイリーズ)
六角 彩子(侍)
大山  唯(尚美学園大学 女子硬式野球部)
金 由起子(ホーネッツ・レディース)

【外野手】
三浦 伊織(京都アストドリームズ)
志村亜貴子(アサヒトラスト)
中村  茜(兵庫スイングスマイリーズ)
直井 友紀(侍)
萱野 未久(シリウス)


これだけを見ると、捕手が1名しかいないように見えるけれど、
女子の場合は、複数守れる「マルチポジション」が趨勢。

内野手として選出された田中選手、
外野手選出の中村、直井、両選手は捕手も兼任できる


こうしてみると、

【捕手】西、(田中)、(中村)、(直井)

【一塁手】金、大山

【二塁手】中野、田中

【三塁手】六角、新井、(小西)

【外野手】三浦、志村、中村、直井、萱野、(新宮)

※()は発表された選出とは異なる選手

各ポジション2名以上を満遍なく配し、
それぞれの選手がレギュラーを張れる人材が並ぶ。

さて、注目の投手は全6名。
前回大会でローテの軸となった、磯崎、新宮、里
この3投手は、今大会でも重要な試合を任されるだろう。

その後には、代表経験豊富な投手キャプテン・中島、
プロの大エース・小西と、頼れるベテランが控える

両投手は先発はもちろん、ロングリリーフもでき、
監督にとっては、実に使い勝手のいい選手だ。

注目は、唯一のサウスポーで初選出の吉井だ。
はたして先発を任されるのか、ショートリリーフなのか?

気になる日程は、
8月
10日・ベネズエラ戦
11日・オランダ戦
12日・アメリカ戦
13日・キューバ戦
14日・チャイニーズ・タイペイ戦
15日・雨天予備日
16日・オーストラリア戦
17日・カナダ戦


注目は、アメリカ、オーストラリア、カナダ戦。
この3戦にどの投手を持ってくるのか?
新谷博監督(元西武など)の構想に注目したい。
これから、大会本番まで、随時レポートします!

0721〜22・松山合宿・新谷監督





shozf5 at 18:11|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2012年07月16日

トラ、トラ、トラ、『¥マネーの虎』本3冊!

お手伝いさせていただいた本が先週発売された。

美空家の歳時記~昭和を生きた家族の絆
美空家の歳時記~昭和を生きた家族の絆
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美空ひばりの一人息子・加藤和也氏の新刊。
タイトルは、『美空家の歳時記』

ひばりさんの当時の日記や手紙を基に、
亡き母の思い出をつづった歳時記風エッセイ。

今回、本書の制作のお手伝いをしたわけだけれど、
その過程で和也氏とはいろいろ話し合った。

71年生まれの彼は僕より一つ年下だけれど、
やはり同世代ということで幼い頃に夢中になった
アニメや漫画やテレビの話題でかなり盛り上がった。
さらに、彼が熱狂的な寅さん好きというのも嬉しかった。

国民的歌手である美空ひばりと、
一私人である加藤和枝の両面を知る数少ない
忘れ形見である和也氏の話は、刺激的だった。

話を聴いている間、何度も「ひばりさんに会いたい」と思った。
彼女にインタビューをしてみたかったなぁ……。


さてさて、加藤和也氏と言えば『¥マネーの虎』の印象が強い。
ご存知ない方のために簡単に説明すると、
『¥マネーの虎』とは2001年から放送されていたバラエティ。

一般人である起業希望者が、名うての成功者を前に、
自らの事業計画を懸命にプレゼンする。
共感を得られれば、投資をしてもらえるという番組。

番組では、事業に成功した成功者を「虎」と呼んでいた
真面目な志願者、頓珍漢な志願者を前に、
「虎」たちは厳しくも温かいアドバイスを与え、
その丁々発止のやり取りが実に面白かった。

その「虎」の一人が和也氏だった。


……さて、僕はなぜか、「虎」に縁がある。


実は、加藤和也氏の本は、
僕にとって3冊目の「虎」本になる。



高橋がなり 強く生きる言葉
高橋がなり 強く生きる言葉
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AV界の革命児・高橋がなり氏
雑誌『フロムA』の連載に始まり、彼のブログ、
カルチャースクールでの講義など、数年間彼と行動をともにした。

『¥マネーの虎』では、ときに過激派、ときに人情派として、
志願者を一喝したり、温情をかけたりしていた。

この『高橋がなり 強く生きる言葉』は、
彼の考えを格言風にコンパクトにまとめたもの。
本当にシャイながなりさんは、とても魅力的だった。


すべての今日は成功に通ず
すべての今日は成功に通ず
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続いて、生活創庫・堀之内九一郎氏の
『すべての今日は成功に通ず』

こちらは、雑誌『CIRCUS』の連載で知り合い、
その後、「本作りを手伝ってよ」と頼まれ、
彼の著作作りに関わることになった。

堀之内さんはホームレスからの成功者として、
『¥マネーの虎』でも、異質な存在感を誇っていた。

堀之内さんは常に冷静で酒の呑み方、
金の使い方など、さまざまな哲学を教えてもらった。



これらの3冊の本は出版社も違えば、編集者も異なる。
それなのに、本当にさまざまな偶然から、

「虎の本を手伝ってくれませんか?」

という依頼が、僕の下に届けられたのだった。
今では、その偶然に感謝したい。


昨日、久々にこれらの本を取り出してみた。
がなりさんも、堀之内さんも、2人の言葉は、ともに強く、熱い。

ちょっと元気が足りないとき、気合い不足のとき、
自分に喝を入れたいとき、ページをめくってみるとしよう。







shozf5 at 11:00|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2012年07月14日

「プロ野球を支えた男」からの貴重な贈り物

DSC_0424


土曜日の午前中、ノンビリと眠っていると、
大きな段ボールの宅急便が届けられた。
差出人は、以前取材したご老人だった。

「彼」は、1931年生まれで今年で82歳になる。
プロ野球コミッショナー事務局員として
その生涯を、プロ野球発展のために捧げてきた。

第3代目となる内村祐之コミッショナーを尊敬し、
今でも「歴代コミッショナーでは内村さんが別格」と慕う。

内村コミッショナー主導の下、
『オフィシャル・ベースボール・マガジン』を創刊し、
長年にわたって、一人で執筆を続けてきたのも彼だったし、
1965年の第一回ドラフト会議を取り仕切ったのも彼だった。

僕が、「ドラフト会議を創った男」、「プロ野球を支えた男」と、
彼のことを評すると、当の本人はいつも首を振る。

「私は事務局員としての仕事を全うしただけです」

と、淡々と語る。

2003年、出版社を辞してフリーの道を選んだとき、
僕は、北鎌倉の彼の自宅に何度もお邪魔して、
1950〜80年代のプロ野球の話を聞き続けた。

彼の記憶は鮮明で、事務局の法規部長として、
ドラフトなどさまざまな制度の策定に関わってきただけに、
実に筆まめで、多くの資料を保管していた。

僕は、彼の話に夢中になった。
フリーになった直後で、仕事もなく、時間はたくさんあった。

それから、断続的に彼の自宅に行き、
お互いの近況報告をしながら野球話をした。

その彼からの貴重なプレゼントだった。
彼が執筆した『オフィシャル・ベースボール・ガイド』など、
今では入手困難な書籍や資料、数十冊が入っていた。

さっそくお礼の電話をすると、彼は言う。

「私が持っているより、あなたが持っていたほうがいいから」

何とも、温かい気持ちになった。

彼からお預かりした貴重な資料の数々。
ぜひ、今後の執筆にきちんと役立てたいと思う。

まだ実現していないけれども、いつか必ず、
彼の人生、彼の仕事をきちんと形にしたい、
……そんな想いが、さらに強くなった。


DSC_0425





shozf5 at 20:49|Permalink スタジアムでビール! 

2012年07月01日

女子プロ選手たちのアマ時代写真!

ブレス・田中幸夏捕手

W杯に向けて、女子野球に関する原稿を書いていた。
ちょっと調べ物があったので、過去のデータをひっくり返した。

すると、懐かしい画像データがたくさん出てきた。
探し物の手を休めて、しばらく見入ってしまった。

現在24名の女子野球日本代表候補選手たち。
創設3年目を迎えている女子プロ野球GPBL。

現在活躍している選手たちの数年前の写真なのだが、
現在とは別のチームで全然違うユニフォーム姿が新鮮だった。

上の写真は現・兵庫スイングスマイリーズで、
日本代表候補選手でもある田中幸夏選手
当時は、小西美加投手とバッテリーを組んでいた。

以下、現プロ野球選手のアマ時代をランダムにご紹介。

新波・川保選手

現・兵庫スイングスマイリーズの川保麻弥選手。当時は新波所属。

ピーチ・宮原投手

現・京都アストドリームスの宮原臣佳投手
当時は倉敷ピーチジャックスで孤軍奮闘していた。

ブレス・小西投手

現・大阪ブレイビーハニーズの小西美加投手。当時はBLESS所属。
現在では、プロリーグを代表する大エースだ。

ブレス・半田投手

現・京都アストドリームスの半田渚投手。こちらもBLESS所属。
ルーキーイヤーの今年、京都の前期優勝に貢献した。

塁・厚ケ瀬投手

現・兵庫スイングスマイリーズの厚ケ瀬美姫選手
マウンド上の彼女の姿は珍しい。当時は塁所属。


第5回女子野球ワールドカップが、
カナダ・エドモントンにて8月10日から開催される。


世間の注目はロンドン五輪に集中するだろう。
でも、カナダでは世界に誇る日本の女子球児たちが
前人未到の大会3連覇を目指して激闘を繰り広げる。

ぜひ、陰ながらでもいいので彼女たちの奮闘を願ってほしい。

日本代表「マドンナジャパン」ははたしてどんな戦いを見せるのか?
これからしばらくの間、女子野球の資料整理をする日々が続く。







shozf5 at 09:53|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2012年06月26日

女子野球日本代表、「華の1991年組」

華の91年組

6月23、24日にかけて、埼玉・尚美学園大学で行われた、
女子野球日本代表「マドンナジャパン」合宿について、もう少し。

かつて、『1991年生まれは、女子球界の「松坂世代」か?』
題するエントリーを書いたことがある。(07.09.24)

それは、昨日も触れた、埼玉栄高校の
実力派1年生たちを見て感じた思いだった。

新宮有依、磯崎由加里、六角彩子の3人はとにかく光っていた。
この3人は、それぞれが順調な成長曲線を描き、
現在では、それぞれが代表チームに欠かせない戦力となった。

最終的には20名まで絞られることになるが、
現在の日本代表候補選手は、全24名。

この24名の中に、91年世代がどれぐらいいるのか?
改めて、確認をしてみると、
91年生まれ、92年早生まれの選手は6名いた。

・新宮有依(平成国際大学)
・磯崎由加里(尚美学園大学)
・六角彩子(侍)
・直井友紀(侍)
・大山唯(尚美学園大学)
・三浦伊織(京都アストドリームス)


上の写真は、全日程終了後、
帰り支度をしているところを撮らせてもらった。

左上から、直井、磯崎、新宮、
左下から、六角、三浦の5名の選手。
大山選手も呼ぼうと探したけれど、
近くにいなかった、残念(笑)。
ということで、大山選手の単独写真を。

大山唯


この中で唯一のプロ・三浦選手は、
神業としか言いようのないバットコントロールが身上。

早い段階でトップを作る独特のフォームと、
ヘッドが遠回りしているように見えながらも、
まったく力まず、脱力感たっぷりで
常にボールとバットがフラットに接触する、
唯一無二の打撃センスはとっても魅力的だ。

直井選手は、「どこまでこの子は元気なんだ」という、
ムードメーカーとしての役割を任じつつ、
パワフルな打撃と全力プレーがとても魅力的。
彼女がグラウンドにいるだけで、ついつい視線が行ってしまう。

大山選手は、中学生の頃から日本代表メンバー入り。
僕も含めて、協会スタッフたちも、どうしても、
彼女のことを中学生だった頃のイメージで見てしまいがちだが、
率先して練習準備、撤去作業をしたり、選手に指示を出したり、
グラウンド内外のリーダーシップがとっても光る。


6人6様のプレースタイル、個々のパーソナリティー。
彼女たちは、カナダでどんな活躍を見せてくれるのか?
ケガには気をつけて万全な体調でカナダに臨んでほしい。



実は、1989年世代も、

・山崎まり(アサヒトラスト)
・里綾実(福知山成美高コーチ)
・中村茜(兵庫スイングスマイリーズ)
・川端友紀(京都アストドリームス)


と、タレントぞろいなのだが、それは別の機会に触れるとしよう。



shozf5 at 09:55|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2012年06月24日

3人の女子球児、5年間の成長の軌跡

まずは、以下4枚の写真を見てほしい。

24

26 (2)

08

24 (2)


おわかりだろうか、3人の女子野球選手たちの、
5年間の姿を断続的に撮影した写真群である。

この3人は女子野球の名門・埼玉栄高校の同級生だ

写っているのは、左から、新宮有依(平成国際大学)、
磯崎由加里(尚美学園大学)、六角彩子(侍)。

現在、新宮、磯崎両選手は日本を代表する好投手だし、
六角選手は10年のW杯でMVPを獲得した世界的な選手だ



僕の手元に残っているデータを見ると、

1枚目は07年09月24日@埼玉・指扇撮影。
2枚目は09年08月26日@兵庫・市島撮影。
3枚目は10年10月28日@東京・浜松町撮影。
4枚目は12年06月24日@埼玉・川越撮影。


およそ5年の間に撮影された4枚の写真。
改めて、仔細に眺めてみると実に感慨深い。

3人の身長順はまったく一緒だけれど、
それぞれが精悍ないで立ちに変わっているのがよくわかる。

最初の撮影時、彼女たちはまだ高校1年生で、
2枚目は高校3年夏、最後の大会の直後、
3枚目は第4回ワールドカップ祝勝会会場にて、
そして4枚目は、今日の日本代表合宿にて撮影した。


5年前、埼玉栄のグラウンドで初めて彼女たちを見たとき、

「なんて、すごい選手たちなんだ!」

と、心から驚き、3人に並んでもらい写真を撮らせてもらった。

その後、彼女たちはそれぞれに期待通りの成長を見せ、
それぞれが日本代表選手として華々しい活躍を続けている。

この仕事を続けていて、とても楽しいのは、
一度、取材をした相手と継続してつき合うことができる点にある。


今夏、カナダ・エドモントンにて第5回女子野球W杯が行われる
不測の事態さえ起こらなければ、彼女たち3人は、
日本代表最終メンバー20名に選ばれ、
カナダの地で、日の丸を背負って活躍してくれるはずだ。

新谷博監督(元西武など)率いる「マドンナジャパン」は、
W杯史上初の大会3連覇を目指して、最終調整中だ。

もちろん、僕もカナダに行くつもりだ。

そして、3連覇の歓喜の中、カナダの地で、
僕は彼女たちの「5枚目の写真」を撮るつもりでいる。




shozf5 at 21:25|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2012年06月22日

男が涙を流すとき 〜岩本勉のあふれる想い〜

涙

インタビュー中に、取材相手が涙を流すことがしばしばある。

女性アイドルの取材をしているときなどは、
お世話になった恩師や両親の話題になったときに、
あるいは、不遇の時代を思い出したときに、
《彼女》たちは、瞳を潤ませたり、涙をこぼしたりした。

女子野球選手に話を聞いているときには、
ケガや不調に苦しんだ時期について、
男子との間で疎外感を覚えたときについて、
苦しかった時期の話を聞くときに涙を見た。

一方、インタビュイーが男性の場合には、
なかなか「涙」と遭遇する機会は少ない。

しかし、つい先日のインタビューで、「男の涙」を久しぶりに見た。

それが、元日本ハムのエース・岩本勉の涙だった。

以前にも書いたように、1989年の夏、当時阪南大高校の3年だった
岩本は、下級生による不祥事で大阪府予選に出場できなかった。

当時の新聞に「高校球界期待の新星」と紹介されていた岩本は、
突然、「18歳の夏」を奪われることとなった。

数年前に、「あの夏のことは今でもよう思い出すんですよ」
岩本から聞いていた僕は、改めて取材をして、
その顛末を『高校野球小僧2012春号』で書いた。

高校野球小僧 2012春号
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幸いにして、読者からの反響も大きく、
僕自身も「もっと書きたい」と思っていたこともあって、
続編を書かせてもらえることになった。

今回は、前回触れることのできなかった高校時代の恩師、
そして岩本を支え続けた両親に話を聞いて、続編を描いた。

そして、「岩本勉の失われた夏 第2章」は、22日発売の
『高校野球小僧2012夏号』に掲載されることとなった。

高校野球小僧 2012夏号
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この取材中、僕は「男の涙」を目撃することとなった。
久しぶりに酒を酌み交わしながら、岩本に話を訊いた。
このとき、岩本は涙をこぼした。

それは、「あの夏」を悔やむような悔し涙ではなく、
それまで知ることのなかった「友の想い」を知った嬉し涙だった。


あの夏の不祥事の結果、チームメイト19名は、
みな野球から離れた生活を送っていた。

同級生19名は、岩本に自分の夢を託していた。
ドラフト当日、キャプテンは大声で言った。


「岩本のドラフトは、オレらのドラフトや!」


この想いは、岩本がプロに入ってからも変わらなかった。


「岩本の活躍は、オレらの活躍や!」


「18歳の夏」を失ったことで、彼らの結束はより固まっていた。


しかし、彼らは岩本に対して「ある隠し事」をしていた。
取材で明らかになったその「隠し事」を岩本に伝えた。

その瞬間、グラスを持つ岩本の手が震え、
その瞳に、熱いものがみるみるうちにたまった。

「……ホンマですか? あいつら何をイキっとんねん。
あぁ腹立つ、彼がいちばん怒ってたんですよ、
なのに……。カッコよすぎるわ、あいつら……」


懸命に涙をこらえている岩本の姿を見ていて、
僕もまた、涙がこぼれそうになっていた。

同級生たちは岩本に何を隠し、
岩本は同級生たちの何に感激したのか……。

パブリックイメージの「明るいガンちゃん」とは違った、
気ぃ遣いで繊細な側面が、岩本にはある。
そんな一面をぜひ、知ってもらいたいという想いが僕にはある。

もし、よかったら、ぜひご一読いただけたら幸いです。








shozf5 at 10:00|Permalink 忘れられぬインタビュー 

2012年06月20日

15歳のプロ野球選手 〜太田浩喜の青春〜 その2

img157

昨日書いた15歳のプロ野球選手に、思わぬ反響があった。
「もう少し、詳細を教えてほしい」との声が多かったので続きを。


資金難にあえいでいたクラウンライターライオンズが、
「金がないなら有望選手は自ら作ろう」という目的の下、
当時15歳、中学3年生だった少年2人を獲得。
「練習生」という名目の下、英才教育を施そうとした。

それが、1977年秋のことだった。

しかし、チーム運営は、すでに深刻な状態にあった。
何とか78年シーズンは持ちこたえたものの、
その年のオフには、チームは身売りを決意。

チームを引き受けることになったのは西武だった。
球界一の貧乏球団から、有数の裕福な球団へ

博多から所沢への移籍はあったものの、
多くの選手たちにとっては、望むべき身売りだった。

しかし、当時「16歳の練習生」にとっては、
それは運命の激変のプロローグでもあった。


福岡の定時制高校に通いながら練習を続けていた
2人の練習生は、埼玉の学校に転校し、
新生・西武で練習を続けることになった。

球団からは「高校卒業までは面倒をみる」と言われていた。
けれども、その後の保証は、何もなかった。

正式契約を結んでいないから、2軍の試合にも出られなかった。
もっぱら、非公式の練習試合や紅白戦に出場しながら、
日々の練習に励んでいた。
少しずつ、少しずつ結果が伴いつつある実感があった。

しかし、新生チームは新しい人材を欲した。
幸いにして、選手獲得資金は潤沢にあった。
高校、大学、社会人の有望選手が続々入団。

少しずつ、「練習生」の居場所はなくなっていく。
そして、プロ入り4年目のオフ、自由契約通告。
チームは廣岡達朗監督を招聘し、心機一転を決めていた。


1軍出場ゼロ。2軍出場もゼロ。
それがプロ4年間の全記録だ。



だからと言って、太田の人生がゼロの人生であるはずがない。

退団後、大学進学を決意し、見事に大学に入学。
卒業後に、西鉄関連会社に勤めることになったのも、
「ライオンズとの因縁」を感じさせる。

幸せな結婚をし、子どもにも恵まれた。
しかし、若くして、妻には先立たれることになった。
それでも、男手ひとつで子どもたちを育てた。
太田は言う「いろいろ辛いこともあったけど、幸せです」と。


昨日のエントリー記事を読んで、太田から連絡をもらった。

プロ野球界の素晴らしい方々との出逢いで
充実した第2の人生を送る事が出来ております。

15才の時の選択は間違ってはいませんでした!
今は、胸を張ってそう言えます


この文面を読んで、何とも言えない気持ちになった。



太田浩喜についての詳細は、7月10日発売の『野球小僧』
連載「太平洋&クラウンライターライオンズの姿を追って」、
この第5回に掲載するつもり。もしよかったら、ご覧ください。

img154

※左が太田、右が同じく練習生の吉田大介








shozf5 at 11:26|Permalink 取材・インタビュー…… 

2012年06月19日

15歳のプロ野球選手 〜太田浩喜の青春〜

DSCN1916

先週、3泊4日の日程で九州に行っていた。
ここ1年ほど続けている「太平洋・クラウンライオンズ」取材のため。

今回は4名の元選手、3名の元球団フロントに会い話を聞いた
貴重な証言以外に、当時の住所録、ファンブック、
根本陸夫監督によるミーティング資料など、
多くの資料を入手できたのが、今回の大きな収穫だった。

今回、お会いした「元選手」の中に太田浩喜氏がいる。
熱狂的なプロ野球ファンでも、
「えっ、太田浩喜?」という人がほとんどだろう。

彼は一試合も出場することなく、いや、
一度も正式な選手契約を結ぶことなく、
19歳という若さでユニフォームを脱いだ。

まったく野球経験のない陸上部の彼が、
クラウンライターライオンズの入団テストを受け、
見事に合格したのが、彼が中三、15歳のときのこと。


以後、定時制高校に通いながら、練習を続けた。
当時の記事には「中学生選手の奮闘」というフレーズが躍る。

当時、12球団一の貧乏球団と言われたクラウンライターライオンズ。
もっとも短期的な投資しかしてこなかったチームが、
初めて長期的な育成を主眼にした選手育成法だった。

「練習生」として、日々、グラウンドに立ち、
正式契約する日を待ち望んだ。

しかし、チームはその翌年、福岡を離れて西武に身売り
16歳の少年の運命は激変することとなった。
幸いにして、「高校卒業まではきちんと面倒をみる」
という当初の約束は、新チームになっても守られることになった。

学校転校の手続きをし、親元を離れ、少年は所沢にやってきた。

「高校卒業の3年後までに、高校野球部出身者よりも、
レベルが高くなっていたい」


そんな思いで練習を続けていたものの、
19歳の秋、解雇を告げられた……。

その後、南海、近鉄のテストに合格したものの、
諸事情から入団はかなわず、引退を決意。
受験をして、大学生として新生活を始めた。

大学では「元プロ選手扱い」ということで、
野球部に所属したとしても試合には出られない。
したがって、このとき太田は野球を断念した。

15歳でプロ野球の世界に身を投じた少年は、
19歳でプロ野球の世界から完全に離れた……。


あまりにも激変、激動過ぎる10代を、彼は過ごしていた――。



博多のホテルで彼に会った。
齢はすでに50歳となっていた。

彼はプロ野球の世界にどんな思いを抱いて、
その後の人生を過ごしてきたのか?

自分では抗うことのできない
大人の世界の中で過ごした10代の日々。
彼の中ではどんな思い出があるのか?
そんなことをテーマに、話を聞いた。

幸いだったのは、彼の中には、
恨みがましい感情も、後悔も微塵もなかったことだった。

たとえ正式契約はなされなくても、
1試合に出場していなくても、
それでも「自分はライオンズの一員だ」という想いにあふれていた。

彼の手元には、多くの思い出の品があった。
今回の取材に大いに役立つものばかりだった。

あの時代は誇るべき私の青春です

胸を張って語る太田の姿はあまりにも清々しかった。

DSCN1923


今回の物語では、彼もまた主要人物になるだろう。
「15歳のプロ野球選手」、その青春はぜひきちんと描きたい。















shozf5 at 11:59|Permalink 取材・インタビュー…… 

2012年06月11日

あれから23年 〜1989年岩本勉の失われた夏〜

岩本・種田

※写真は八尾北リトル時代の岩本勉氏(中央)、左隣は種田仁氏

1989年、平成最初の夏――。
大阪・阪南大高校野球部は2年生部員の不祥事のために、
直前に控えた大阪府予選大会出場辞退を余儀なくされた。

3年生20名の中には、後にプロで活躍する岩本勉がいた。
大会直前には「高校球界癸臼ο咫廚粒荵が躍るほど、
活躍が期待された逸材は、一度もマウンドに立つことなく、
高校最後の夏を不完全燃焼のまま、終えることになった。


あの夏のことは、今でもよう思い出すんですよ……


岩本勉からそんな話を聞いたのは、
数年前に一緒にアメリカに取材に出かけたとき、
サンフランシスコだったか、シアトルだったか、
定かではないけれど、アメリカの空港のカフェでだった。

この一件は、僕の中でずっと引っかかっていた。

その後、何かのついでに当時の新聞記事を集め、
当時の雑誌を読み、大体の概略はつかんでいた。

それでも、「よし取材しよう」という踏ん切りがつかず、
ずるずると数年が経ってしまっていた。


そして、今年の年明け。


旧知の編集者に「何か企画はない?」と問われたときに、
この一件を思い出して、「実は……」と切り出すと、
「じゃあ、それで8P書いて下さい」と、すぐに依頼を受けた。

そこで改めて岩本本人と、当時のチームメイト2名に会い、
事の顛末をまとめ、『高校野球小僧2012春号』に原稿を書いた。

高校野球小僧 2012春号
高校野球小僧 2012春号
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幸いにして、話を聞かせてもらった人たちから喜んでもらえ、
編集部からも「読者の反響が大きいです」
連絡をもらって、僕自身も喜んでいた。
そして、嬉しいことに「次号でも続きを」と依頼を受けた。

率直に言えば、「まだまだ書き足りない」という、
そんな思いが、僕の胸の内には、確かにあった。

取材をしていて、新たな発見がたくさんあったからだ。

僕が事前に予想していたよりも、3年生20名の絆は遥かに強く、
彼らが、事件を起こした《彼》のことを許していたことも意外だった。


また、明るいキャラクターとは裏腹な岩本自身の複雑な家庭環境、
彼自身が背負っている宿命、そして翳。
そして岩本以外の19名たちの「それぞれのその後」など、
多くのドラマが、まだまだ眠っていることに魅せられた。


6月22日に発売される『高校野球小僧2012夏号』では、
岩本の両親、母校・阪南大高の監督、コーチに話を聞き、
前回とは違った側面から、「1989年の夏」を描いてみた。

高校野球小僧 2012夏号
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先週、岩本勉と久しぶりにゆっくりと酒を酌み交わした。
改めて「あの夏」の話になり、改めて当時の想いを聞いた。

僕は一連の取材で明らかになったことを岩本に伝えた。
チームメイトたちは岩本に対して、さまざまな気遣いをしていた。
僕の発言を受けて、岩本からは新しい事実がもたらされた。

「春号」で最初の物語を書き、「夏号」で続きを書き、
それで、一段落かなと思っていたけれど、
実は、これから長い取材が始まるのだと、今は思っている。

会いたい人、会わなきゃならない人がたくさんいる。
はたして、連絡先がわかるのか、そして会ってくれるのか?

また新しい旅が始まりそうな、そんな予感がしている。
新たな旅が始まる静かな高揚感が、今、確かにある。










shozf5 at 11:00|Permalink 取材・インタビュー…… 

2012年06月05日

『プロレスラー名鑑全集』で思いを馳せる……

プロレスラー名鑑全集 1990-2000 20世紀編 永久保 (B・B MOOK 801 スポーツシリーズ NO. 671)
プロレスラー名鑑全集 1990-2000 20世紀編 永久保 (B・B MOOK 801 スポーツシリーズ NO. 671)
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かつて、『週刊プロレス』の熱心な読者だった。
時代にして88年頃から93年頃までかな?
ちょうど、僕の高校〜大学時代だった。

アントニオ猪木、ジャイアント馬場は現役で、
長州、藤波、鶴田、天龍も現役バリバリだった。

前田、高田、藤原、船木らがUWFで革命を起こし、
大仁田はインディー街道を突っ走っていた。

余談になるが、馬場・猪木を「GI砲」と呼ぶのに対して、
長州力以下の4人が「鶴藤長天(格闘頂点)」と名づけられたが、
あんまり定着しなかったことも懐かしい(笑)。

この頃は、東京ドーム大会はもちろん、両国国技館、
日本武道館、そして後楽園ホールに、いつも駆けつけていた。

元々、猪木信者であったけど、団体に関わらず、
都内でプロレスがあればいつも見に行っていた。

プロレスラー名鑑全集 2001-2010 新世紀編 永久保存 (B・B MOOK 793 スポーツシリーズ NO. 663)
プロレスラー名鑑全集 2001-2010 新世紀編 永久保存 (B・B MOOK 793 スポーツシリーズ NO. 663)
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『週刊プロレス』では、年始の「選手名鑑号」が印象に残っている。
当時買っていた号は、ほとんど捨ててしまったけど、
この名鑑号だけは、今でもきちんと保管してあるほどだ。

で、最近、この「名鑑号」だけを一冊にしたムックが発売された。
先日、ベースボール・マガジン社を訪れた際に、
お世話になっている編集長が、このムックをプレゼントしてくれた。

「1990〜2000年・20世紀編」
「2001〜2010年・新世紀編」


……いやぁ、懐かしい、懐かしい、懐かしい。
ページを繰るごとに、あの頃がよみがえってくるようだ。

大好きなレスラーのプロフィールを確認するところから始まり、
消えては生まれるインディー団体の興亡に思いを馳せたり、
年を重ねるごとにどんどん表情が変わっていく様に感嘆したり、
まったく飽きることなく、しばらくの間、眺め続けてしまった。

……それにしても、物故者の多いこと、多いこと。

ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、三澤光晴、ラッシャー木村、
橋本真也、上田馬之助、冬木弘道、山本小鉄、ジョー樋口、
星野勘太郎、剛竜馬……(順不同)


身体を張って、命を削って、興奮させてくれた
偉大なプロレスラー&レフェリーたちに改めて感謝。

全日本プロレス外国人選手大図鑑 (B・B MOOK 810 スポーツシリーズ NO. 680)
全日本プロレス外国人選手大図鑑 (B・B MOOK 810 スポーツシリーズ NO. 680)
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全日本プロレス来日外国人ばかりを集めたこのムック。
こちらも、やはり物故者が多くて切なくなる。

テリー・ゴディが亡くなったのは01年、彼が40歳のとき。
スティーブ・ウイリアムスが亡くなったのは09年。
ザ・シークがこの世を去ったのは03年、76歳。
ビガロも、オブライトも、アンドレも、もういない……。
資料部屋から、昔のビデオ、DVDを引っ張り出してみよう……。


shozf5 at 18:28|Permalink 映画、音楽、そして本 

2012年05月25日

岩手のアオダモを守り続ける男

原会長とアオダモ

ここ数日、東北に行っていた。
青森、岩手、宮城、福島と各県を回り、
以前取材で知り合った方、初めて会う人、
それぞれと楽しい酒をともにした。

岩手県紫波町では忘れられない人と再会した
彼の名は、原修。すでに70代半ばを迎えている。
地元で40年以上、スポーツ店を経営している人物だ。

西武の菊池雄星は、中学生の頃、
この店に顔を出しては何時間も飽きることなく、
グラブやバットを手にして原さんと過ごしたという


「野球バット材・アオダモが枯渇している」
そんな話を聞いた原さんは60歳になる頃に、

「スポーツ店を経営してきた恩返しをしたい」と、
アオダモの植樹に取り組むことを決意した。

アオダモはモクセイ科トネリコ属の落葉樹で、
主に北海道の森林に分散して生育している。
その材質は、固くて粘りがあり、バット材に最適だ。

しかし、バットになるまでには約70年かかり、
現在では、森林開発の影響などで減少。
ここ数年のうちに、枯渇してしまうだろう。

僕はここ10年、アオダモの取材を続けてきた。
2010年には、『イチローのバットがなくなる日』と題して、
現在、アオダモを取り巻く環境について、一冊にまとめた。

イチローのバットがなくなる日―「アオダモ」を巡る渾身のルポルタージュ (主婦の友新書)
イチローのバットがなくなる日―「アオダモ」を巡る渾身のルポルタージュ (主婦の友新書)
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僕が原さんと出会ったのは、本書が出版された後の、
2011年春のことだった。
したがって、本書には原さんのことは触れられていない。

原さんは自費で、北海道からアオダモの苗木を購入し、
行政各所と交渉の末、国有林の使用許可を得て、
現在では、数万本の植樹実績を誇っている

植樹祭では、地元の少年少女球児たちが、
「木のバットがなくなる日がくるとは知らなかった」と、
熱心にスコップ片手に小さなアオダモを植えているのだという。

昨年に引き続き、今年も植樹会場を訪れた。
五月晴れの東北の風は気持ちよかった。

「GWまでは、まだ雪が残っていたんだよ」

すくすく育つアオダモに触れながら、原さんが笑う。

「今まで何度もクマにも出会ったんだよ」

この場所には、孫の名前から一文字をとって、
「光の森」という名前が付けられている。

「孫の名前をつけておけば、私が死んだ後でも、
少しは森のことを気にかけてくれるんじゃないかと思って」


現在、「岩手のアオダモを育てる会」が発足し、
定期的な植樹活動、啓蒙活動を行っている。
原さんをサポートする体制も着々と整っている。

「岩手の野球少年少女たちに、アオダモのバットで、
たくさん野球を楽しんでもらいたい」


少年たちの寄せ書き


名もなきヒーローの名もなき奮闘。
全国には、誇るべき偉人がたくさんいる。







shozf5 at 10:32|Permalink 私は今、旅の途上です 

2012年05月21日

女子野球日本代表、プロアマ合流!

小西・川端・中野・監督

今夏、カナダで開催される「第五回ワールドカップ」に向けて、
5月19、20日の両日、女子野球日本代表候補合宿が行われた。

今回は、先日追加招集されたプロ選手たちが
初めて合流するということで、注目されていた。

厚ケ瀬美姫(兵庫)が故障のため参加できなかったけれど、
小西美加(大阪)、川端友紀、三浦伊織(ともに京都)、
田中幸夏、中村茜(ともに兵庫)の5名
が参加。

個々の能力に関してはお墨付きだけれど、
フォーメーション、サインプレーなど、
「新谷博監督の野球」にどこまですばやく融合できるか、
その点が注目されていた。

しかし、その心配は杞憂に終わった。

2日にわたり、実戦形式の紅白戦で、
練習では顕在化しない細かい課題を洗い出し、
その後の練習では2ランスクイズ、ディレイド・スチールなど、
新谷さんの目指すスモール・ベースポールを徹底する。
そのいずれも、プロ選手たちの動きは俊敏だった。

プロ選手たちに話を聞いて初めて知ったけれど、
ディレイド・スチールに関しては、
兵庫の選手たちは「初めて練習する」と言い、
京都の選手たちは「普段、練習している」と語っていた


詳しく聞けば、京都では昨年就任した佐々木恭介監督が、
この練習を行っており、サインまであるのだという。
今季、大躍進を続けている京都の強さの秘密を見た気がした。

また、先日のプロとの強化試合でコテンパンにやられた
アマチュア選手たちも、この1ヵ月で相当練習に励んだのだろう。
身体のキレも戻り、パワフルになっていた。

それにしても、片岡安祐美、川端友紀の二遊間は、
グラウンド上が一気に華やかな雰囲気になるいいコンビだった。

萱野選手・佐々木氏


新谷博監督、清水稔コーチがプロ選手を指導するのも新鮮だったが、
同じく、プロの佐々木監督がアマ選手を指導する姿も新鮮だった。

全体練習終了後、我慢しきれなくなったような佐々木監督が、
萱野未久選手に対して、実に1時間のマンツーマン特訓を行った。

バットが遠回りしがちで、ヘッドが遅れて出る萱野選手に対して、
インサイドアウトを身につけさせるべく、さまざまな指導を行う。
ずっと身近で聞いていたけれど、なかなか刺激的だった。

小西投手


2008年の第3回大会を最後に代表から離れていた小西投手が、
久々にジャパンのマークをつけているのもよかった。

「まさか、再び、この姿を見られるとは思わなかった」と言うと、
「普段とは違う新鮮な野球が楽しい」と小西投手は笑った。


全練習終了後、新谷監督に話を聞いた。

「技術的には底上げされたけれど、チーム的にはまだまだ」

監督が選手たちに求めるものは「巧みなリードオフ」ということも、
今回、初めて知ることができた。
この辺りは、改めてじっくり話を聞いてみたいテーマだ。

次回合宿は、6月23、24日、埼玉・尚美学園大学にて。
さらなるパワーアップが見られるはず。楽しみだ!















shozf5 at 11:06|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2012年05月17日

温故知新連載3【ヤクルトファンブック・1983〜1985編】

さらに調子に乗って、第3回は【1983〜1985編】です!

1983


さて、1983年版
おぉ、前年までの若松勉から表紙の座を奪ったのは、
期待のルーキー・荒木大輔だ!!!


この年の僕は、中学に入る年だ。
丸坊主の野球部員で、先輩のケツバットがヘビーだった頃。

さて、この年の大注目が、井本隆の入団だった。
ファミリー体質で、なかなかトレードをしないと言われていた
ヤクルトが、鈴木康二朗、柳原隆弘を放出してまで獲得

言わずと知れた「近鉄のエース」の獲得!
僕のアドレナリンは出っ放しの垂れ流し状態だった


ちなみに、井本のプロフィール欄を見ると、

「1ヵ月のこづかいは、50万円」と書いてある。

ちなみに、同時期に移籍入団した倉持明は、

「1ヵ月のこづかいは、3万円くらい」とある。

倉持明は、現AKB48、チームAの倉持明日香のお父さん
このプロフィール欄には、家族の実名も掲載されているが、
彼女は89年生まれなので、この名鑑には載ってない、残念!

……さて、井本だ。
結局、この年の井本はまったく活躍しなかった。
記録を調べてみると6勝14敗、防御率5・46。
50万円使ってもいいから、活躍してよ。

後に、暴露本出版で騒がれた記憶がある。
興味ゼロ。僕は読んでない。

移籍前後に女性問題で騒がれたことしか、
僕の印象に残っていないよ。エミーだか、エリーだよ。
で、鈴木、柳原は、近鉄で活躍したんだよ、確か


おっ、ボビー・マルカーノの加入もこの年だ!
ベネズエラ出身で、阪急から移籍。
でも、ピークはもう過ぎていたよな。
後に39歳の若さで亡くなる。ニュースで知ってショックだった


1984


続いて1984年版

この年は、中央に若松勉、左にルーキー・高野光、
右に、松岡の後のエース・尾花高夫が配されている。

前年表紙の荒木はどこに行ったかと思えば、表4にいた。

1984b


やっぱり、爽やかだなぁ。やっぱり、斉藤佑樹の先輩だ。

ドラ1で高野光、他に橋上秀樹、池山隆寛が入団したのがこの年。
後に高野の訃報に接したときは、本当にショックだった……。

次のページを見ると栗山英樹、桜井伸一がいた!
まさか、日ハムの監督になるとは誰も思わなかったよなぁ。
桜井さんは、現役引退後、中野のジムでよく一緒になった(笑)。


おっ、これは!

小川&荒木


誌面で見ると小さくてわかりづらかったけれど、
スキャンして拡大してみたら、やっぱり間違いない。

女性アイドルに扮しているのが、荒木大輔。
学生服姿の親衛隊中央は、小川淳司だ!


まさか、このコスプレイヤー2人が、
20数年後に監督とヘッドという関係になるとは!!



1985


今回のラストは1985年版

この年は、広沢克己、秦真司、青島健太、
乱橋幸仁、後に審判に転身する柳田浩一らが入団


前年の池山に続き、広沢が加入し、秦や橋上など、
黄金の90年代への、かすかな光が見え始め……ないな、まだ


読み物企画では、選手たちの家族がたくさん登場している。
松岡弘の家族も紹介されているのだけれど、
奥さん、長女、次女、見事にみんなメガネだ!

目の悪さは遺伝するものなのだろう。

おぉ、松岡のグラブはスポルディングだったんだ。
あれ、立野の名前が違っている?
……調べてみると、前年までは「政治」
この年からは「正士」だ。一体、何があったんだろう?

調べてみると、前年は登板機会ゼロ。
ちなみに、この年は登板2試合のみで、そのまま引退だ。
スリムで柔らかいフォームで、新人年は活躍したのになぁ……。


※こうやって見ていくと、この第3回【83〜86年】は、
僕自身の中学3年間にピッタリ重なるんだけど、
生観戦だけでなく、テレビ観戦もぐっと減って、
日々の日刊スポーツと週べでの情報収集が多いことに気がついた。

※以上、全3回、76〜85年までのファンブックと、
個人的な思い出でした。長々とおつき合いいただき、
どうもありがとうございました!



shozf5 at 11:30|Permalink スタジアムでビール! 

2012年05月16日

温故知新連載2【ヤクルトファンブック・1980〜1982編】

前回の第1回【1976〜1978編】が、意外な反響だったので、
調子に乗って、第2回【1980〜1982編】をお届けします!

1980


前回明記した通り、1979年版は手元にないので、
1年飛ばして、続いては1980年版

さぁ、やはりこの年もイラストで若松勉の単体。
この頃、「ミスタースワローズ」の称号は完全に若松のものだった。

当時、小4だった僕は、若松勉とアントニオ猪木に、
心から惚れていた。心酔、溺愛、寵愛、偏愛……、
何と言っていいかわからないほど、この2人が大好きだった。


……おっ、意外な発見。
76〜78年までは、右閉じ左開きだったけれど、
この80年以降は、左閉じ右開きにマイナーチェンジ!

この年からは、「ケンカ四郎」・武上四郎が監督に就任

この年の「三本柱」は、松岡弘、鈴木康二朗、安田猛
そして、「第二の三本柱」として紹介されているのが、
寮長・梶間健一、PL・尾花高夫、そして、後頭部直撃・井原慎一朗

「後頭部直撃」とは、キャッチャー・大矢の二塁送球が低すぎて、
しゃがんでいた井原の後頭部を直撃した、
80年代に何度も繰り返された「珍プレー」のことです。

ルーキーは、大川章に岩下正明片岡大蔵は期待外れだった。
で、助っ人は快足自慢のスコット、とにかく足が速かった。

そして……、アレ、アレ?
この年、パラーゾがいたのに、載ってないぞ。

と思ったら、後半のカラーページに載っていた。
パラーゾは、後にメジャーで指導者として活躍するんだよな。
マリナーズでコーチをやっているのをみて、すごく嬉しかった(笑)。

この年、角富士夫のサヨナラホームランを生で見た。
阪神のピッチャーは池内豊だった。
なぜ覚えているかというと、図工の課題で、
この試合の絵を描いて、表彰されたから(笑)。


で、この年は広島に大差をつけられての2位。
……さぁ、ここからヤクルト暗黒時代の幕開けだ(笑)。

1981


続いて1981年版
おぉ、ようやく表紙がイラストから写真に変わった。

ちなみに、表4(裏表紙)は武上監督の「ヤクルトタフマン」広告
キャッチコピーは、「ここ1番にこの1本」!
このテレビCM、よく覚えてる。

中西太コーチとともに出演し、「辞書には載ってません」、
「乗ったよ」と辞書の上にタフマンを乗せるやり取りだった。

期待のルーキー・竹本由紀夫、散々だったよなぁ。
そして、最大の誤算はヤクルトに復帰したマニエル

この年、開幕前に「シーズン1号はいつ?」クイズがあって、
全然出ないで、まったく尻すぼみ企画になっちゃったんだよな。


この年のチーム最年長は、神部年男か。
おっ、48ページには、野村克晃が出ている。
後の団野村さん。プレーを見た記憶は全然ない。

img150



1982


さぁ、続いて1982年版

この年のルーキーは、宮本賢治だ! 当時はニキビが多かった。
そして、現監督・小川淳司の入団もこの年。

まったく活躍しなかったけれど、森長隆もこの年入団か……。
オレ、この年のファン感謝デーでこの人にサインもらったなぁ。
アレ、どこに行っちゃったんだろうなぁ……。

この年の外国人は、ラリー・ハ―ロー、デビッド・デントン

ハーローは開幕戦でのズッコケタイムリーエラー、
デントンは、ド貧乏のボロボログラブのテスト生

今の僕には、この程度の思い出しかない。


前年に盗塁王を獲得した青木実が、大きく掲載されている。
セカンド盗塁シーンの連続写真は、なかなか美しいフォーム。

特集企画には「角富士夫選手の追っかけレポート」が。
これを読むと、角は自動車免許を持っておらず、
池尻大橋から表参道経由で外苑前に「通勤」しているという




……さぁ、連載3回目は【1983〜1985年版】です!







shozf5 at 10:22|Permalink スタジアムでビール! 

2012年05月15日

温故知新連載1【ヤクルトファンブック・1976〜1978編】

1976


昨日、資料部屋で探し物をしていたら、
ヤクルトファンブックが大量に出てきた。

1976年版から2012年版までのうち、
欠本は1979、1986、1990年版の3冊。
購入したけれど、何かの拍子になくなってしまったらしい。
それでも、実に34冊、34年分の歴史だ!

で、探し物のことなどすっかり忘れて、
ついつい読み込んでしまうこと数時間。

あまりにも面白く、懐かしかったので、
表紙だけでもこのファンブックをご紹介したい。
ヤクルトファンじゃない人、スミマセン。全3回です!

ということで、連載第1回目は【1976〜1978年版】から

1976年版、表紙は中央に松岡弘、左に安田猛、右に若松勉
写真ではなく、イラストで描かれているが、若松はあまり似てない。

監督は荒川博。大杉勝男は移籍2年目。
助っ人は、ロジャー・A・レポーズ。
そして、チャールズ・F・マニエル
若松、松岡、安田は29歳、大矢は28歳。 
ルーキーは、杉村繁、後の盗塁王・青木実。


そうだ、「ヤクルトの青木」と言えば、
僕の子ども時代は「宣親」じゃなく「実」だった(笑)!

1977


続いて、1977年版
こちらは前年に引き続き、イラストだが、
前年の3人ではなく、エース・松岡弘単体になった。

表紙にサインが描かれているが、これは後年、
大人になってから、松岡さんにサインをしてもらったもの(笑)。

松岡さんは「ずいぶん、古いの持ってるなぁ〜」と言っていた。

前年途中から、監督に広岡達朗が就任
翌78年の初Vの息吹が、少しずつ聞こえ始める頃。

「ライフルマン」船田和英は16年目の35歳。
現コーチの「伊勢大明神」伊勢孝夫は33歳。
両外人は、この年もマニエル、ロジャー。
ロジャー・レポーズは太平洋から74年に移籍。
このとき、来日5年目の36歳。
おぉ、ルーキーは後の戸田寮長・梶間健一だ!


当時の僕は、投手コーチの堀内庄に対して、

「こいつ誰だ? 堀内のニセモノか?」と思っていた。

堀内恒夫しか知らなかった7歳の坊主をお許しください。


1978


そして、ヤクルト初優勝の1978年版
表紙は、やはりイラストで若松勉の単体。
前年に首位打者を獲得したのだから、当然だ。

巻頭も笑顔の若松勉、キャッチコピーは、

「10万ドルの笑顔」

いくら、円安時代とはいえ、「100万ドル」としないところが、
若松らしいというか、ヤクルトらしいというか、実に奥ゆかしい。

「大杉選手のマル秘公開」というコーナーでは、
大杉のバストが112センチであることが明らかに。
その説明文を、ご紹介。

かたせ梨乃ちゃんのバストは92センチ。
 梨乃ちゃんよりも20センチも大きいのだ!


僕は、大杉が112センチであることよりも、
かたせ梨乃が92センチもあることに驚いた


さて、この年の新加入は、デーブ・ヒルトン
ルーキーには、後の横浜監督・尾花高夫
そして、僕が大好きだった「33」鳥原公二
おっ、渋井敬一もいるし、柳原隆弘もいる。
柳原は、後に井本隆とのトレードで近鉄に。
それにしても、井本は期待外れだったなぁ……



引き続き、連載2「1980〜1982年版」に続きます!






shozf5 at 10:47|Permalink スタジアムでビール! 

2012年05月14日

ヤクルトキャップのデッドストック発見!

DSC_0304

探し物があったので、資料部屋を物色。
そしたら、実に懐かしいものが出てきた。

確か1990年代前半だったと思うけど、ヤクルトは
帽子やペットマークをリニューアルすることを決めた。

80年代の超弱小時代を経て、92、93年の
野村克也監督による連覇時代の名残を残す、
このユニフォームが好きだった僕は、
「リニューアルする」と聞いて、残念に思った。

ということで、何を思ったのか、近所の帽子屋を数軒回って、
旧マークの帽子を買い揃えたことを、今思い出した(笑)。

ということで、ただ今、資料探しを中断して、
90年代前半のファンブックを熟読中。

調べてみたら、つば九郎が登場し、
帽子のマークが現行のものになったのは94年だった

94ファンブック


上の写真は94年のヤクルトファンブックの97ページ。
この年のファンブックには、現日本ハム監督の栗山秀樹の
「ティーチャー・栗山のベースボール学園」というコーナーや、
有森也美、佐野史郎、周防正行、小川範子、野際陽子による、
「ヤクルト・フリーク大集合」という企画が。

野際陽子がヤクルトファンだとはまったく知らなかった。
読んでみると、彼女は立教時代に長嶋の同期で、
1リーグ時代の川上、大下をラジオで聞いていたとのこと。
ただ、ヤクルトファンになったきっかけは荒木大輔らしい(笑)。


僕の資料部屋には1976年から2012年までのファンブックがある。
今、確認したところ、79、86、90年の三年分が欠けていた!
探せばどこかにあるかな? いや、元々なかったような気がする。
困った、何としてでも入手したくなってしまった(笑)。

どなたかお持ちの方はいらっしゃいませんか?
お譲り下さる方があれば、ぜひご連絡を(笑)!







shozf5 at 11:37|Permalink スタジアムでビール! 

2012年05月13日

感謝、感謝、感謝……!!

Happy my 42th B-day!

本日、無事に42歳の誕生日を迎えました。

昨夜0時過ぎから、Facebookを通じて、
多くの方に祝福のコメントをいただきました。

この年になって、これだけ多くの方に
お祝いしてもらえるとは思ってもいませんでした。
本当にありがたいことです。感謝、感謝、感謝です。

仕事を通じて頻繁に会っている人もいれば、
十年、二十年来ごぶさたの人もいるし、
拙著を通じて知り合い、ご丁寧な感想をいただいたものの、
いまだ一度も会ったことのない人もいるし、
僕には畏れ多い方からのお言葉もあり……。

本厄となった昨年は、公私ともにキツイ日々でした。
「なるほど、人はこうして年をとるのか」と、
肉体的、精神的に感じることも多々ありました。

それでも、真っ直ぐ、前を向き、一歩一歩進みます。

この数カ月で二冊の本を書き上げました。
それぞれ、もうすぐ発売となります。

次なる企画、その次の企画も取材を始めています。
それは、来年、再来年以降の発表になりそうです。

自分にできることと、できないこと。
自分がやるべきことと、そうではないこと。

そんなものが漠然と見えつつあるように思います。
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

すてきな母の日をお過ごしください。


2012.05.13 陽光と薫風に包まれた仕事場から
                      長谷川晶一





shozf5 at 10:56|Permalink ボーッとしながら考える 

2012年05月07日

映画『ミスター・ジャイアンツ勝利の旗』を見た!

ミスター・ジャイアンツ勝利の旗


前から観たいと思っていた映画が近所で公開中。
ということで、本日、阿佐谷ラピュタに行き、
ようやく、『ミスター・ジャイアンツ勝利の旗』を観ることができた。

この作品は、昭和38年のペナントレースを舞台に、
リアル巨人ナインが迫真の「演技」に挑んだ、
セミ・ドキュメンタリー作品。しかも、カラー!

ストーリーにはまったく期待していなかったけれど、
期待以上の出来栄えで、物語としても楽しかった。

オープニングでいきなり、当時の玉澤バットがたくさん登場
そのシーンだけで、僕は「1200円の元をとった」と感涙。

で、とにかく長嶋さんが素振りをするシーンが多いのだが、
長嶋さんはやはり玉澤ではなくルイビル製のバットだった

当時の長嶋さんは「舶来モノ」を真っ先に導入するお洒落さんで、
おそらく、あれはアーニー・バンクスタイプのものだと思う。

多摩川グラウンドでのノックシーンはたまらない。
3〜4分近く、延々とノックシーンが続くのだけれど、
大画面で、しかもカラーでみるノックシーンの数々。
グラブの出し方、スローイング、やはりカッコいい。

それを見守っているのが、王、廣岡、国松、柴田……
もう、たまらないですよ。

「ミスター・ジェントルマン」藤田元司が名演技。
怪我した長嶋を助けるために、なぜか舟木一夫に、
「舟木クンは飛行機の手配を、いや、いい……」と、
いろいろ指令を出すシーンもカッコよかったよ。

脇を支える豪華な役者陣がまた凄すぎ。

フランキー堺、伴淳三郎、大空真弓、淡島千景、
佐原健二、沢村貞子、新珠三千代、淡路恵子、
アイ・ジョージ、池内淳子、伊藤久哉、伊東ゆかり、
香川京子、加東大介、草笛光子、桜井浩子、宝田明、
仲代達矢、西村晃、舟木一夫、南弘子、園まり、三木のり平。


しかも、主題歌は坂本九

西村「黄門さま」晃は、酔っぱらって長嶋に絡むし、
桜井「ウルトラマン」浩子は、ホントのチョイ役だし、
三木「ごはんですよ」のり平は、なぜか西鉄ファンだし。

後に噂となる柴田勲と伊東ゆかりが並んでるんですよ!
この映画で二人は、そういう関係になったのかしらん?

明日の予定がなければ、もう一回観に行っていたな。


……長文にて失礼いたしました。
残念ながら、阿佐谷ラピュタでの公開は、5月8日まで。
もし、何か機会がありましたら、ぜひご覧ください!

shozf5 at 23:53|Permalink 映画、音楽、そして本 

2012年04月24日

太平洋・クラウンライターライオンズ取材中! 〜真弓明信・竹之内雅史・基満男インタビュー〜

真弓明信氏


現在、『野球小僧』誌において、
「太平洋・クラウンライターライオンズ」時代の
連載原稿を書かせてもらっている。

70年生まれの僕にとって、73年から76年まで存続した
「太平洋ライオンズ」の記憶は、ほとんどない。

しかし、「太平洋」の後の「クラウンライターライオンズ」は、
77年から78年のわずか2年間にも関わらず、妙に印象深い。

当時、僕は7歳から8歳の時期。
プロ野球に熱狂し始めるのは、その数年後のことだ。
なのに、なぜか妙に印象に残っているのだ。

時折り見ていた『プロ野球ニュース』の影響なのか、
カルビーの「プロ野球チップス」のオマケカードの影響なのか、
それとも後天的に得た記憶を、当時のものと錯覚しているのか、
あのクラウンライターのド派手なユニフォームが強烈に残っている。

竹之内雅史氏 (2)


太平洋・クラウンの所属選手たちはみな個性的だ。
これまで、話を聞いたのは、

土井正博、日野茂、基満男、真弓明信、竹之内雅史

そして、球団代表の坂井保之氏の全6名。
もちろん、まだまだ話を聞きたい選手は大勢いるし、
一度聞いた人にも、再び話を聞く必要性も出てくるだろう。

東尾修、白仁天、若菜嘉晴、東田正義、永射保、
伊原春樹、立花義家、古賀正明、倉持明……


彼らの中で、太平洋・クラウンの6年間はどんな意味を持ち、
現在では、どんな思い出となっているのだろう?

基満男氏


昨年末、基満男に話を聞いた。

「黒い霧事件」への関与を疑われた際の話になり、
かつてのチームメイト・竹之内雅史のことを、

「あいつのことはキライだ」と言い放った。

先日、竹之内に会い、そのことを伝えた。

「あいつなら言いかねないな」と苦笑いを浮かべた。

さらに、江藤慎一監督と、試合中にベンチ裏で殴り合ったとされる
エピソードについて竹之内に話を聞いた。

「さすがにオレだって、目上の人は殴らないよ」と笑ったものの、

すぐに殴り合いに近い「衝突」のエピソードを教えてくれた。
その際に竹之内は短く、しかし強く言った。

「気が強くなかったら、できねぇよ、こんな商売!」

そのひと言は、実にカッコよかった。

真弓明信にも話を聞いた。

「黒い霧事件」で球界を去った池永正明と真弓には
直接の接点はない……はずだった。

真弓が入団1年目。
球団関係者からこう言われたという。

「池永の店にはなるべく行かないように」

当時、池永は博多で「ドーベル」というスナックを開いていた。
その当時のことを振り返って真弓は言った。

「でも、行ったけどね、オレ、池永さんの店に」

中学時代にたったの一度だけ、
真弓は平和台球場でライオンズ戦を生で見ている。
その際にブルペンで見た池永の投球に魅了されていた。


「直接の面識はなかったけど、池永さんのことは
ライオンズの先輩だと思っていたから……」


真弓の言葉もまた、カッコよかった。

ここまで出会った人々は、みな男くさい人物ばかりだった。
男くさい人物たちが織りなす6年間の物語。

本当に金がなく、「貧乏球団」のそしりを受けつつ、
それでも野球を続けた男たちの話はとても濃い。

現在、取材を続行中。
一段落したら、ぜひ全面書き直して、一冊にしたい。
何年後になるかはわからない。けれども、絶対に形にしたい。


野球小僧 2012年 06月号 [雑誌]
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※追記
この号に、真弓さんの原稿を書きました。
よろしければ、ぜひご一読を!


shozf5 at 02:34|Permalink 取材・インタビュー…… 

2012年04月23日

女子野球・日本代表候補対プロ選抜、詳報!

日本代表候補


今夏(8月10日〜19日)、カナダ・エドモントンにて
行われる「第5回女子野球ワールドカップ」

ここまで大会連覇を果たしている「マドンナジャパン」は、
史上初となる大会三連覇を目指して、すでに始動している。

代表監督を務めるのは、西武などで活躍した新谷博氏
尚美学園大学女子硬式野球部監督でもある新谷氏は、
過去二大会の投手コーチとして主に投手陣を指導し、
今大会から、重圧のかかる中で監督に就任した。

3月に開催されたトライアウト通過者は全24名。
この中には、日本一有名な女子選手・片岡安祐美や、
世界レベルの飛距離を誇る超スラッガー・西朝美など、
多士済々の顔ぶれが並んでいる。

この24名の中には、女子プロ選手は一人もいない。
なぜなら、一人もトライアウトを受験していないからだ。

と言っても、男子球界のように、プロとアマとの間に、
忌まわしい過去や悲しい断絶があるわけではない。

開幕時期など、諸問題との兼ね合いなどから、
トライアウト受験はかなわかなったものの、
日本女子プロ野球機構(GPBL)・片桐諭代表は、
早くから「いつでも全日本さんには協力する」と表明。

これを受けて、日本女子野球協会・大倉孝一理事長も、
「戦力の見極めが整った段階で、補強選手を
プロ側に要請したい」
と応えていた。

前置きが長くなったが、こうした経緯から実現したのが、
4月21日、わかさスタジアム京都で行われた、
「日本代表強化試合」としての、
日本代表候補対女子プロ選抜2連戦だった。

これまで世界の中で数々の実績を残してきた日本代表。
対して、設立から3年目を迎えたばかりの女子プロ野球。

代表選手の中には「プロには魅力を感じない」と公言する者もいる。
一方、プロ選手の中には代表選手から漏れた選手も多い。

こうした事情を踏まえて、女子球界にはこんな考えがあった。


「プロよりもアマのほうが実力は上だ」


事実、昨年秋に開催されたプロ・アマトーナメント
「ジャパンカップ」では、プロ2チームが、いずれも、
引き分け抽選とはいえ高校チームに敗れている。



僕自身も、W杯取材を通じて、日本代表チームのレベルの高さは、
世界最高峰にあると確信していたし、プロと比較して、
やはり、代表チームの方が実力者ぞろいだと考えていた。


しかし――。


21日に行われた2試合は、これまでの「常識」が誤りだった、
もしくは、完全に覆されたと、誰もが知る機会となった。


第一試合 女子プロ選抜 6対1 日本代表候補
第二試合 女子プロ選抜 9対0 日本代表候補



プロ選抜チームは2試合で、打っては26安打、投げては1失点。
対する代表候補は2試合で、わずか1得点で、投げては15失点。

京都の三浦伊織は2試合で6安打を放った。
高校時代はテニス部でインターハイに出場し、
プロに入るまで硬式野球経験のない三浦は、
アマチュア関係者にとってはほぼ未知の存在だった。

三浦伊織


かつて、日本代表選手だった小西美加は、
プロの2年間でさらに精進し、リーグ一の大エースとなった。
アマチュア関係者がイメージしている「過去の小西」と、
「現在の小西」はまったくの別人だと言ってもいいだろう。

リーグ創設からすでに2年を経て、
三浦や小西に象徴されるように、現在のプロのレベルは
急成長、急発展を遂げているのも紛れもない事実だ。

アマチュア選手の多くは、これからシーズンが本格化するのに対し、
プロ選手は開幕からすでに1ヵ月が経過し、本調子にあるのは事実。

しかし、そうしたことを考慮に入れたとしても、
個々の体幹の強さ、スイングスピード、打球の速さ、飛距離、
脚力、走塁技術、連係プレー……、すべてプロが勝っていた。

まさに、過去2年間、ひたすら野球に取り組んできた、
プロの意地と強みを存分に発揮する結果となった。

過去2年間、兵庫のキャプテンを務め、
連続打点王に輝いた川保麻弥は試合後に言った。


「野球を仕事としてやっている以上は勝たなくてはいけない」

川保麻弥


この結果を踏まえて、女子野球協会は22日に、
プロ側からの追加補強選手として、

・川端友紀
・三浦伊織
・小西美加
・厚ケ瀬美姫
・田中幸夏
・中村茜


の招集を発表した。

この6名は、今後5〜7月にかけて行われる
代表合宿に参加することも決まっている。
プロとアマとの良質な化学融合が訪れることを期待したい。

この強化試合が4月に行われたことを、
今は幸運だったと思いたい。

代表候補に慢心があったとは思わない。
けれども、「完敗」という、屈辱と悔しさの中で、
「自分たちはまだまだなのだ」と、
再確認できたことは、本当に幸運だったと思いたい。

今後の練習や合宿では、顔色が変わっていることだろう。
すべては、そこから始まる。

「2012年4月21日――
日本代表候補チームにとってのリスタート記念日」


後に振りかえった時に、
そう笑える日が来ることを僕は、心から期待している。




shozf5 at 01:21|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2012年04月09日

再録・2010初夏・宮國椋丞インタビュー

糸満・宮國投手 (2)


ジャイアンツ・宮國椋丞がプロ初勝利を挙げたという。
一日中、こもりきりで原稿を書いていたため、
その雄姿を見ることはできなかったけれど、
入団一年目から期待していただけに、
プロ初登板で初勝利を挙げたのは僕も嬉しい。

旧知のジャイアンツ担当に今日の試合について聞いたら、
彼曰く、

「6回以降は変化球が高めに浮き始めましたが、
それまでは低目を丁寧に突き、
人を食ったようなスローカーブも有効でした。
正直、澤村などよりも内容のあるピッチングでしたね」
とのこと。

ますます、生で見てみたくなった。

2010年初夏、沖縄県予選開始直前のこと。
僕は、沖縄・糸満高で宮國のインタビューをした

手足の長さとスタイルの良さに驚いた記憶がある。
その投球を見て、さらに驚かされた。

上原監督曰く「極度の口下手ですよ」と聞かされ、
いろいろ気を遣いながら話を聞いたのが懐かしい。

彼はどんな受け答えをするようになったのだろう?
プロに入って、変化があったのか、なかったのか?
ぜひ、インタビューをしてみたいものだ。

というわけで、当時書いた原稿を再録したい。
媒体は『ホームラン』(2010・6+7)号

巻頭特集「今ベールを脱ぐ夏の新ヒーロー」の
文字通り巻頭に掲載されたものだ。
この号で、宮國は表紙も飾っている。




遠くからでも、すぐにそれとわかるユニフォーム姿。
長身で手足が長く、その投球フォームは
実に優雅で天性の華がある。

糸満高校のグラウンドに入ってすぐに
目についたのが宮國椋丞だった。身長183臓体重74繊
スマートな体躯から繰り出される伸びのあるストレートは
常時140キロ台を計測しているという。

バッターが思わず腰を引いてしまう高速スライダーも小気味いい。
糸満高校・上原忠監督も宮國の実力には太鼓判を押す。

「入学時は63舛靴なくて、ガリガリのマッチ棒ですよ。
でも高2の冬のトレーニングで、少しお尻の周りに
筋肉がついて身体ができてきた。
ストレートのキレや伸びはすごいね。
とっても器用なのでスライダー、フォーク、シンカーも
何でも投げられるよ。僕は反対なんだけど」


その理由を聞こう。

「せっかくいいストレートを持っているのに、
今は直球と変化球を5対5の割合で投げている。
僕は7対3で、直球が多くていいと思うんだけどね」


マウンド上の宮國の投球を見ながら上原監督はつぶやいた。

「この冬にフォームを変えたら、
さらにすごいピッチャーになりました。
これから夏に向けて、まだまだ楽しみです」


練習終了後、宮國の女房役である島袋陽平捕手に話を聞く。

「変化球も多彩だし、真っ直ぐの質も群を抜いています。
ピンチでもいつも冷静で、とても頼りになるピッチャーです」


そして、投球練習を終えて、
クールダウンを行っていた宮國に話を聞いた。

「まだストレートは本調子ではないけど、
夏までにはいい調子に仕上げていくつもりです」


練習終了後で、疲れているのか、それとも緊張しているのか、
表情は堅い。上原監督の「ものすごく口下手だから、
取材は大変ですよ」という言葉を思い出す。

続けて「現在の球種」について、質問を投げかける。

「今はそんなに多くの球種を投げていなくて、
ストレートとスライダーとカーブぐらいです。
監督には毎日言われているけど、
自分は真っ直ぐを軸に押していくピッチャーだと思うので、
今はストレートに磨きをかけるように練習しています」


監督の言う「フォーム修正」についても尋ねてみた。

「今まではスリークォーター気味で
ヒジが下がることが多かったんですけど、
この冬にオーバースローに変えてからは、
こっちのほうが投げやすいです。
とにかく今は、フォームを固めているところです」


全国有数の激戦区である今年の沖縄にあって、
「打倒興南」の最右翼として注目されている糸満高。

実際に宮國は08年の1年生大会で、
今春のセンバツ優勝投手、興南高・島袋洋奨に
投げ勝って優勝を遂げている。

しかし、本人は謙遜なのか、謙虚な性格なのか、
「ライバル」と目されている島袋を大絶賛する。

「彼の甲子園での活躍は自分にとっても
いい刺激になっています。
でも、彼の方が一枚も二枚も上手で、
技術も精神面の強さも、すべて尊敬しています」


あまりにも謙虚で優等生すぎる発言。
少し意地悪な気持ちを込めて質問をする。

――1年時には自分が投げ勝ったのに、
今では全国区の有名投手となった島袋君に
悔しさを感じることはありませんか?

まったく表情を変えることなく、宮國は言う。

「まったくそんな思いはないです。本当に尊敬しています」

――じゃあ、ライバル選手、ライバル校はありますか?

こちらとしては「もちろん、興南の島袋です」という答えを
期待しての問いだったが、またしても宮國は淡々と答える。

「今の沖縄はどこもレベルが高いので、
どの学校もライバルだと思っています」


質問の矛先を変える。

――戦いたい相手は誰ですか?

自分でも「誘導尋問のようだな」という自覚をしつつの
質問だったが、ようやく宮國の言葉に力強さが加わった。

「やっぱり、決勝は興南と当たって、
島袋と投げ合って勝って甲子園に行きたいです」


それははたして本心だったのか、
それとも拙い取材者の意図を汲み取って、
気を遣った上での発言だったのか? 
そんな不安を抱き、反省していると宮國は言葉を続けた。

「沖縄県大会を制して、甲子園の大観衆の前で
投げているイメージを想像して、
今はモチベーションを高めています。
手強い相手だけど、興南とも互角に戦えると思っています」


島袋捕手が救いの手を差し伸べてくれた。
上原監督曰く「沖縄の高校野球史上一番かも」という強肩が自慢だ。

「センバツ優勝校の興南高にはしっかり対策を練って戦います。
でも実力は五分五分で、
どっちが勝ってもおかしくないと宮國とも話しています」


糸満高校では宮國に加えて、この島袋陽平も
全国レベルのキャッチャーとして注目されている。
確かに、練習で見せたセカンドスローイングは
高校生のレベルを大きく超えていた。
宮國による島袋評は次の通り。

「とても信頼できる頼もしいキャッチャーです。
いつも、ピンチのときには“ちゃんと腕を振れ!”と
気合を入れてくれます。でも、クラスも一緒なんですけど、
普段はあんまりしゃべったりしないけど(笑)」


憧れの投手は、岩隈久志(東北楽天)と
岸孝之(埼玉西武)だという宮國。
いずれも長い手足を生かしたキレのいいストレートと
バランスのいいピッチングが持ち味だ。

はたして、打倒、興南・島袋洋奨の最有力候補である
宮國椋丞は沖縄県大会でどんな投球を披露するのか? 

全国的にはいまだ無名のヒーロー。
その雌伏のときは終わりを告げ、
大空に向けて今まさに羽ばたこうとしている――。



ホームラン 2010年 07月号 [雑誌]
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shozf5 at 02:26|Permalink 懐かしき文章たち…… 

2012年04月04日

美空ひばりの秘蔵資料を見て感じたこと……

不死鳥 美空ひばり in TOKYO DOME <完全盤> 翔ぶ!! 新しき空に向かって [DVD]
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現在、7月発売の『元アイドル』本の執筆の大詰め。
全15名の物語なのだが、ただいま11名分書き終えた。
来週中には、第一稿が書き終わる予定。

その一方で、次回作、その次の作品の取材も並行中。
その一つに「美空ひばり」関連の書籍がある。

長谷川と美空ひばりという、不思議な取り合わせだけど、
こちらの取材もほぼ大詰めにさしかかっている。


先日、美空ひばりの一人息子・加藤和也氏に、
生前のひばりさんの日記を見せてもらった。

そこには、初めての子の成長に感動し、
ときには、息子の中耳炎におどおどし、
離れ離れの息子を気遣う母親の姿があった。

さらに、和也氏が小学校を卒業する際に、
ひばりさんがまったくのサプライズで
謝恩会で歌った映像も見せてもらった。

突然のひばりさんの登場にどよめく場内。
一父兄から、天下のひばりに変わる瞬間。
最初に歌ったのが、なんと『芸道一代』

今回は「女王」ではなく「家庭人」としての
美空ひばりを描きたいのだけれど、
美空ひばりと加藤和枝が共存する貴重な映像だった。

心身ともに優れないことも多いけれども、
グダグダ言わずに、真っ直ぐ、前を見て進みたい。
さぁ、今日も取材に出かけよう。






shozf5 at 10:22|Permalink 取材・インタビュー…… 

2012年04月03日

女子野球三昧の一週間!

女子プロ野球開幕2012

先週一週間、東京をほぼ留守にしていた。
何をしていたかというと、女子野球取材&観戦

3月26〜27日は、大阪で女子プロ野球開幕シリーズ。
3月28日は、兵庫・市島で高校選抜大会。
3月31、4月1日は、埼玉・川越で日本代表合宿。


3年目を迎えた女子プロ野球は、
今季から新チーム・大阪ブレイビーハニーズが誕生。
リーグを代表する大エース・小西美加投手が入団し、
今季の動向を左右する台風の目となりそうで楽しみ。

選手たちに話を聞くまでもなく、
今年は京都アストドリームスがいい感じで楽しみ。

過去2年は兵庫スイングスマイリーズの前に
苦杯をなめ、苦戦を強いられてきたが、
今季は大幅なメンバーの移籍もなく、有望新人の加入もあり、
悲願の初優勝を狙える好位置につけている。

開幕戦では、京都の3番・三浦伊織選手が、
自身初となるランニングホームランを放った。
ここまで京都は無傷の3連勝。
このままの勢いを失わないでほしいと思う。

神村学園応援歌


市島には、久しぶりに訪れた。
この日は福知山成美対蒲田女子戦に注目していた。

日本代表候補に選ばれた経験を持つ、
福知山・川口琴、蒲田・花ヶ崎衣利両投手
息詰まる投げ合いが見られれば……、
そう思っていたけれど、両者の投げ合いは実現しなかった。

久しぶりにお会いする高校の監督も多く、
今年の有望選手についてお話を聞いた。

31


31日は、さいたまの市営浦和球場にて、
日本代表対埼玉選抜の壮行試合を取材した。

ちなみにこの球場は、昭和31年10月、
高橋ユニオンズの最終戦が行われた地

日本代表チームは、新宮有依、磯崎由加里、中島梨紗が登板。
新谷博監督の中にある「三本柱」の試運転となった。

さすがに、世界トップレベルにあるこの三人は、
三者三様の安定したピッチングを見せて、
新谷監督をはじめとする協会関係者を安心させた。

そして、この日、現時点での仮の役割として、

キャプテン・志村亜貴子、副キャプテン・片岡安祐美、中島梨紗

が発表された。

翌1日は、尚美学園大学に舞台を移し合宿2日目を行った。
それぞれ、個人の技術レベルでは申し分のない選手ばかりなので、
あとは、監督がやりたい野球を個々がどれだけ理解できるか、
具体的なフォーメーションの確認など、高いレベルでの調整が、
今後の合宿や練習試合を通じて求められていくことになる。

磯崎由加里投手



それにしても、この一週間、完全に女子野球漬けだった。
ということで、大詰めを迎えている新刊にはノータッチ(笑)。
今週からは、気合いを入れ直してラストスパートに入ります!





shozf5 at 15:34|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2012年03月12日

ドリーム モーニング娘。ライブへ!

DSC_0231

10日は、日本武道館へドリーム モーニング娘。ライブへ

10カ月間続いた、「元モーニング娘。」連載が今月で終了。
ということで、満を持して武道館へ出かけた。

オープニングの「ハッピーサマーウェディング」から、
ステージ上の9人の姿を見ていたら、
インタビュー時の、それぞれの発言が思い出され、
なぜだか、シンミリと感慨深くなってしまった。

以前もこのブログで書いたけれど、
取材前に、過去のインタビュー記事を洗い出し、
(この人は、こういう人なんだろうな……)
という仮説とともに、取材に臨む。

イメージ通りのこともあれば、イメージと全然違って、
なかなか刺激的なインタビューをさせてもらった。

途中、ドリムス。メンバーではないけれど、
OGの石黒彩、辻希美が登場。
こちらは事前告知があったけれども、
さらに、後藤真希の登場では、久々に武道館が揺れた。

長渕剛や矢沢永吉の武道館ライブに行ったことがあるけれど、
それ以上の揺れだったと思う。個人的な感想を言えば、
三澤光晴さんが生きていた頃の全日武道館大会以来かな(笑)。

現役モーニング娘。とドリーム モーニング娘。、
そして、ゴマキも加わった『ザ☆ピ〜ス!』は壮観だった。
ゴマキとなっちのツーショットは、なかなかいい光景だった。

久々にいいライブを見たように思う。
その証拠に、一緒に行った編集長と朝方まで痛飲、痛飲、大痛飲。

二人とも、日曜は朝からの取材があったのに、
興奮しすぎて「まぁ、いいや」と呑みまくった。

これで、ひとまず、ドリーム モーニング娘。「第一章」は終了。
メンバーたちが口々に言っていたように、
来るべき「第二章」を楽しみに待ちたい。





















shozf5 at 16:43|Permalink 映画、音楽、そして本 

2012年03月06日

2012年版・12球団すべてのファンクラブに入る男!

2012・11球団ファンクラブ特典

毎年、この時期になると僕の仕事場の一角は段ボールの山となる。
というのも、何をとち狂ったのか、僕は
2005年以来、12球団すべてのファンクラブに入っているため、
各球団の「ファンクラブ特典」が、次々と届けられるからだ。

現在では、ごく一部で「ファンクラブ研究家」と呼ばれている(笑)

今年も、例年通り、横浜を除く11球団の特典グッズが届いた。
ご存知ない方のために、申し上げると、
例年、横浜ファンクラブの初動は、かなり遅い。

阪神ファンクラブは、シーズン中の7月に翌年の募集を開始して、
前年12月には、特典グッズが到着するのに対して、
横浜ファンクラブは、年が明けても、何の音沙汰もナシ。

今年の場合は親会社が変わったゴタゴタの影響もあってか、
募集告知がなされたのはキャンプ半ばの12年2月11日のこと。
当然、現時点で特典グッズは到着していない。

2004年の球界再編騒動の折りに「本当のファンサービスとは?」と
素朴な疑問を抱いた僕は、
「ファンサービスを知るにはファンクラブを知ればいい」と、
実に単純な考えの下、翌05年、12球団すべてのファンクラブに入会。

初めは「30過ぎた大人のやることじゃない」と思っていたけど、
実際にやってみたら、これが実に楽しいことに気がついた。

とにかく各球団の個性、そしてファンサービスに対する意識が、
如実にファンクラブに表れているのだ。

詳細は、毎年『野球小僧』(白夜書房)の6月号(5月10日発売)に、
「12球団ファンクラブに入会してみた!」と題して、
8ページの記事を書かせてもらっている。
(たぶん、今年も書かせてもらえるはず・笑)


05年当時と比較すると、各球団の進化は著しい。
たとえば西武は、松坂大輔のポスティングマネーから
5000万円を、翌年のファンクラブに投資した。

それは「松坂革命」とも呼べる革命的なものだった。
特典グッズは、ますます高品質のものとなり、
球場への来場サービスも、一気に充実した。

そういう意味では、ダルビッシュの移籍金を手にした
日本ハムが、来年、「ダルビッシュ革命」を断行するのか?
大いに期待したいところだ。

さて、さて、今年のこの段ボールの中にも、
それぞれが趣向を凝らした「夢と希望」であふれている。

ぜひ、球春の訪れとともに、各グッズを身にまとい、
それぞれの球場に出かけ、うまいビールを呑みたい!














shozf5 at 21:01|Permalink スタジアムでビール! 

2012年03月04日

「マドンナジャパン」・女子野球日本代表候補決定!

DSC_0228

3、4日と女子野球日本代表候補者決定トライアウトに行っていた。

会場では、選手や各チームの関係者、保護者の方々など、
懐かしい顔ぶればかり。
「最近、女子野球の原稿を書いてないじゃないですか」と、
数名の方に言われた。これからは、もっと書きます(笑)。

以下、合格者24名。

【投手】
磯崎由加里(尚美学園大学)
新宮有依(平成国際大学)
有坂友理香(アサヒトラスト)
里彩実(尚美学園大学)
坂本加奈(マドンナ松山)
中島梨紗(侍)
花ヶ崎衣利(蒲田女子高校)
小出加会(埼玉栄高校)
吉井萌美(埼玉栄高校)
矢野みなみ(前東芝北九州ソフトボール部)

【捕手】
高島知美(平成国際大学)
西朝美(アサヒトラスト)
直井友紀(侍)

【内野手】
大山唯(尚美学園大学)
六角彩子(侍)
中野菜摘(尚美学園大学)
金由紀子(ホーネッツ)
新井純子(尚美学園大学)
山崎まり(アサヒトラスト)
片岡安祐美(茨城ゴールデンゴールズ)
出口彩香(尚美学園大学)

【外野手】
柳谷優花(ホーネッツ)
萱野未久(sirius)
志村亜貴子(アサヒトラスト)



さて、上の写真は本日、見事に合格した4選手。
左から、直井、六角、磯崎、新宮選手。
いずれも、埼玉栄高校の卒業生で同学年。

彼女たちが1年のとき、埼玉栄を取材していて、
磯崎、六角、新宮、それぞれの才能に驚いた。
この3人は、それまで見てきた選手に比べて、
ひと際、その才能が輝いて見えた。

この頃の直井さんについては、残念ながら印象にない。
それも、そのはずだった。
埼玉栄の鈴木コーチによると、この頃の直井さんは
「目も当てられない状態だった」ということだった。

その後も、僕はこの3人に注目を続けていた。
そして彼女たちは順調に成長して3年生となった。

2009年夏、僕は彼女たちの「最後の夏」を見ようと、
兵庫・市島の最後の夏の大会に出かけた。
埼玉栄高校の宿舎にお邪魔し、それぞれに話を聞いた。

このとき初めて、直井さんに話を聞いた。
新宮、磯崎という屈指の好投手をリードする「女房役」は、
同級生たちをどう見ているのか知りたかった。

僕は直井さんの話す内容に夢中になった。

このときの直井さんの話は、実に「男前」だった。
今でも、このときの取材音源はとってあるけれど、
ここまで気持ちのいい話をする18歳には、
彼女以外に出会ったことはない。

そして、最後に彼女は言った。

「どんな結果に終わろうとも、私は絶対に泣かない!」と。

その翌日、埼玉栄は決勝で花咲徳栄に負けた。
敗戦が決まった瞬間から、直井さんの動向に釘付けとなった。

確かに、彼女は泣かなかった。
しかし、その目は涙でいっぱいだった。

それでも彼女は涙がこぼれそうになると、
みんなから離れて、ひとりで空を見上げていた。
「涙をこぼすまい」という強い意志が、その姿から感じられた。

あのとき、「大学進学を機に野球をやめる」と語っていた。
しかし、その後も野球を続けて、今回見事に代表候補になった。

今回の合格者それぞれに、ドラマも思い入れもあるけれども、
その中でも、もっとも感動したのが今日の直井さんの合格だった。
西、高島という強力な大先輩を前に、ぜひ奮闘してほしい!


さぁ、8月のカナダ取材に向けて、
僕自身の取材態勢もきちんと整えなきゃ!














shozf5 at 19:52|Permalink 今日も元気に女子野球! 
PROFILE
SHOICHI HASEGAWA 
1970年5月13日・東京生まれ。
ノンフィクション・ライター
日々、旅をして、人に出会い、
話を聞き、それを文章にする。
そんな日々の雑感です。
長文になると思います。

ちなみに、上の写真は、
モハメド・アリ@北朝鮮です!
(07年3月1日付参照のこと・笑)
shozf5@gmail.com


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