2016年01月21日

40代ライターの生きる道〜昼間から暗いお話〜

ラクダに乗って、いざピラミッドへ!

今日は完全フリーにして、昼過ぎから映画を見て、夕方からダラダラ呑んで、自堕落に過ごそうと思っていたのに、結局は日曜日締め切りの原稿、さらに1ヵ月後締め切りの原稿と2本分の原稿を仕上げた。ワーカホリックなのだろうか?

……以下、暗い話。

今から6年ほど前のこと、もうすぐ40代に突入するというときに、パッタリと仕事がなくなった

リーマンショックの影響も大きく、仕事をしていた雑誌が休刊になったり、出版社の緊縮経営により、お世話になっていた編集者がリストラされたり、自主退職されたり……。出版社が倒産し、多額の未払い原稿料に泣かされたのもこの頃のことだった。出版社内では社員編集者がダブついているため、外部ライターを使わず、自分たちで原稿を書くケースも増えた。

それから、しばらくの間苦しい時期が続き、自分なりの打開策を見つけて、何とかここまで生き延びた。粗製乱造とバカにされ、揶揄されようとも、40代の間は手あたり次第にいろいろなテーマの本を矢継ぎ早に出版することを決めた。

それでも、あのとき以来、「仕事がなくなる怖さ」が潜在的に植えつけられてしまったようだ。住宅ローンは完済し、子どもも車もないので教育ローンも自動車ローンもない。自由に取材して執筆できて、多少のお酒を飲めるだけの財力さえあればいい。法外なぜいたくさえしなければ何とか生きていけるとは思う。

それでも、あのとき感じた恐怖感はいまだに拭えない。今でも、ふとした瞬間に「求人広告」を読み込んで、「45歳はもうダメなのか」とか、「未経験者はNGか……」とか、つい「転職した自分」を想像してしまうことはしばしばだ。

ひとまず、今年は3冊の新刊を出版し、来年以降も出版予定はある。けれども、明日はどうなるかわからない。自分で選んだ自由業ではあるけれど、潜在的失業者であることには変わりない。けれども、後に続く有望な若手ライターたちの手本となるべく――たとえそれが反面教師であろうとも――、真っ直ぐ、前を見据えて、道を切り拓かなければ。そこが渡世人の辛いところよ。僕も、寅さんの気持ちが理解できる年齢になったようだ(笑)。

先日、若手ライターからの相談に乗ったとき、(偉そうなこと言えないよな、オレ自身がこんなに不安だらけなのに……)と考えた。そのことが頭から離れなかった。で、この暗い長文。お目汚し失礼しました。



shozf5 at 17:30|Permalink ボーッとしながら考える 

2016年01月20日

ファンクラブ界のより良き発展を目指して

141022y_030

2014年、『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!』という本を出版した。調子に乗って、特許庁にノコノコと出向き、「12球団ファンクラブ評論家Ⓡ」で商標登録までしてしまった。そんなこともあって、幸いにして多くの方に読んでいただき、その後もファンクラブ関連の仕事が増えた。

そして2014年以来、各球団のファンクラブ担当者に会いに行き、今取り組んでいること、今後の展望、そして課題や問題点などを聞いている。これまで、巨人、DeNA、楽天、日本ハム、そして西武と5球団を訪れた。拙著では好き勝手に、「この球団はここがいいけど、ここがダメだ」と書いた。

ということもあって、対面して話をするのは意外と気が重い。出会った瞬間に、「てめぇ、この野郎、勝手なことばかり書きやがって」と胸倉をつかまれるのではないかという不安がある(多少、誇張)。少なくとも、FC担当者にとっては、決していい気分ではないだろう。

ところが、実際に各球団のFC担当者に会ってみて、話を聞いていると、決まって最後にこう言われた。

「今日は、厳しいことを言われてお叱りを受けるのではと覚悟していました」

……なるほど、彼ら彼女らも緊張していたのだ(笑)。確かに、好き勝手なことばかり書いて、しかもそれがマスクをかぶった中年男だとなれば、僕よりも彼らの方の緊張の方が大きいだろう(笑)。そう気づいてからは、各球団事務所を訪問することの緊張が、ずいぶん軽減された。

今年、某球団のFCが大きく改善された。その担当者から、こんなことを言われた。

「うちの上司があの本を読んで、“FCをもっともっと改善しろ!”と言われました。その結果、やりたかったことがいろいろとできるようになりました。どうもありがとうございました」

この球団だけではなく、一昨年よりも昨年、去年よりも今年と、各球団のFCは目覚ましく改善されている。そこに、何かしらあの本の影響があるのだとしたら、こんなに嬉しいことはない。

12球団すべてのファンクラブに入会するという馬鹿げたことを始めて、世間からは白い目で見られもした(笑)。それでも、多少はいい効果を生み出しているのかもしれない。そんなことを考えながら、12年目のシーズンが始まろうとしている。昨日、中日FCの特典グッズが届いた。


shozf5 at 10:12|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2016年01月19日

僕にはありあまる、ボブルヘッドがありあまる

FullSizeRender

本日は拙宅にて、編集者、デザイナー、カメラマンとともにバタバタしながらぶっ通しで7時間ほど撮影をした。仕事場に積み上げられた十数個の段ボールを一つひとつすべて取り出して、テーマごとに並べながらひたすら撮影しまくる。

先日、お知らせした3月末発売の新刊の撮影で、これから急ピッチで原稿を仕上げていく。来月はプロ野球キャンプ取材もあるし、海外取材も決まっている。バタバタしているのは相変わらずだけど、今回の本は書くべきことが決まっているし、肩に力が入らずに楽しんで書けるタイプの原稿なので、そんなに心配はしていない。

手元のボブルヘッドを、一体一体、「ああでもない、こうでもない」と並べながら、カメラマンとデザイナーが格闘している横で、僕は未開封のTシャツを一枚ずつ取り出していく。Tシャツだけで30枚以上はある。これから数年はTシャツに困らないはずだ(笑)。その横では、編集者が20枚近いレプリカユニフォームを一枚ずつ丹念にチェックしている。いい大人が夢中で、一心不乱に物事に取り組んでいる姿はなかなか心地いい。

この感覚、以前も感じたことがあるな……)

ある種の既視感に襲われて、すぐに気がついた。2年前の今頃、大の大人が集まって、バカみたいに大量の野球グッズに囲まれながら撮影をした。そう、プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!の撮影だった。

年賀状用写真


2年経っても、まったく成長のない自分に嘆息しながら、それでも前を向いてやるしかないのだ。ということで、もうすぐ発売されます。タイトル、発売日などはまた改めて。どうぞよろしくお願いいたします!






shozf5 at 20:06|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2016年01月16日

僕にはありあまる、八重樫幸雄がありあまる

DSCN1625

ここ数日、八重樫幸雄氏が頭から離れない。先日、初めて彼にインタビューをして、その個性的な佇まいと話の面白さに圧倒されて以来、寝ても覚めても、僕の頭の中には「八重樫幸雄」の笑顔でいっぱいなのだ

故・大杉勝男さんとの仲睦まじいエピソード、弱小時代のチームの雰囲気、不遇だった頃の若手時代。訥々と語られる話題はどれも最高だった。

でも、あえて呼び捨てにするけれど、現役時代の八重樫が好きではなかった。ピッチャーと正対するような、極端なオープンスタンスもカッコ悪いと思っていた。守っても、もっさりしていてパスボールも多く、ろくに配球のことなどわかりもしないのに、「ここでスライダーはないだろ」としたり顔で彼を非難し、「ヤクルトが弱いのは八重樫のせいだ」と思っていた。

後に古田敦也が入団し、ヤクルトが黄金時代を築いたときに、「やっぱりキャッチャーは大事なのだ」と八重樫時代を頭に思い浮かべて、納得していたものだ。

ヤクルトに入団する前に、スカウトたちが古田を称して、「メガネのキャッチャーは大成しない」と言っていたのは、八重樫という前例があったからだ。僕は、そう信じていた。

……ところが、時間の経過とともに、そして、自分も大人になり、やがて中年になるに連れて、僕の中での「八重樫像」が少しずつ変化していった。それまで、「八重樫」と呼び捨てにしていたけれど、気がつけば「八重樫さん」と呼ぶようになっていた

70年のプロ入り以来、ずっと大矢明彦の陰に隠れて、ほとんど出番をもらえなかった。入団当時はスリムな体形で、俊足を誇っていた。打撃センスと走力を買われ、ときの監督たちはみな、「内野手にコンバートしたい」と考えた。それでも、八重樫さんはキャッチャー道を貫き続けた。

出番を与えられないまま、いたずらに時間だけが過ぎていく。やがて八重樫さんは太っていき、走力は衰え、乱視となり、メガネをかけるようになったことで若い頃のようなプレーを続けられなくなった。乱視のためボールが見づらくなったので、「よく見えるように」と、両眼でボールを見る、あのバッティングスタイルとなった。

初めてオールスターに出場したのは入団15年目。初めて打率3割に到達したのもプロ15年目のことだった。その間、決して腐らずにキャッチャー道を歩き続けた。やがて、若手の台頭でレギュラーを奪われると、その後は代打の切り札として23年間のプロ生活をまっとうした。

その後はバッテリーコーチ、二軍監督、打撃コーチ、スカウトを歴任。スワローズひと筋の人生を、今もなお歩み続けている。ともに海を渡った背番号《1》コンビ・岩村明憲、青木宣親は、八重樫さんの教え子だ。

23年間のプロ生活で積み上げた安打数は「773」。決して、超一流の数字ではない。決して、華のある超スター選手でもなかった。けれども、1970年のドラフト以来、実に45年間、スワローズとともに歩み続けている。

そんな八重樫さん、カッコいいではないか。河島英五の歌に出てくるような、不器用で、一途で、そしてはにかむような笑顔を持って……。インタビュー時の八重樫さんは、まさにそんな感じだった。

この取材時に、「昔は失礼なことばかり思っていてスミマセンでした」と謝罪をした(笑)。ようやく肩の荷が下りたような気がする。

以来ずっと、気がつけば八重樫さんのことばかり考えている。手元の古いビデオや市販されているDVDを漁ってみても、八重樫さんの雄姿はほぼ収録されていない。実際の映像を見ることができないからこそ、僕の脳内では過去の記憶が、より鮮明にエンドレスに流れ続けている。今日も、目覚めた瞬間、背番号《28》が真っ先に頭に浮かんだ。もはや、恋愛の初期症状ではないか。


shozf5 at 11:33|Permalink ヤクルト書籍関連 

2016年01月13日

3月末発売の次回作・いよいよ始動!

150826髟キ隹キ蟾昴&繧灘・逵歃k150826303

本日、担当編集者、デザイナーさんと打ち合わせ。次回作の概要がほぼ固まる。早く書きたくてウズウズしていた。ようやく、執筆の時間が訪れそうでワクワクしている。

昨年、年明けと同時に半年で書下ろし新刊を4冊書き上げた。あまりにも疲れたため、「今年はもう何も書きたくない」と思っていたところ、「ひたすらパ・リーグだけを見るという仕事をしませんか?」と依頼を受けた。しかも「札幌でも、博多でも、時間の許す限り、何度でも行っていいですよ」という魅惑の依頼。

もちろん、お受けすることにした。ということで、手元のノートを見ると、6月19日のロッテ戦から始まり、10月25日の日本シリーズ第2戦まで、実に51試合もパ・リーグの試合を見続けた。もちろん、空いている時間には神宮でヤクルト戦も見ていたから、昨年は本当に野球漬けの日々だった。

その間、球団グッズをしこたま買い続けた。現在、僕の仕事部屋には大きめの段ボール箱が12個ある。さらに、選手プロデュース弁当をたらふく食い続け、球場ビールをたっぷり呑み続けた。そして、各球団のマスコット、チアたちと、いつもの覆面姿で写真を撮り続けた。

その行動に何も意味はないことは理解している。けれども、「無意味の中にこそ、真の意味は宿る」と誰かが言っていた。いや、誰もそんなこと言ってないけど、そんなこともあるのではないか?

……ということで、今月中に執筆を始めます。全体の構想はすでに固まっています。今春の開幕時には店頭に並びます。バカバカしい試みに、しばらくの間おつき合いください。どうぞよろしくお願いいたします!



shozf5 at 21:59|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2016年01月10日

角富士夫氏に36年前のお礼を伝えに行く!

角富士夫氏

僕がヤクルトファンとなった決定的な試合。それが80年4月26日、神宮球場での対阪神戦。初めてヤクルトファンクラブに入会した10歳になる直前のこと。

それまでも何度か野球観戦に連れられていたようだけど、あまり記憶がない。でも、この日初めて家族全員で神宮に行き、そのまま赤坂のホテルにみんなで泊まってすごく楽しかったことをよく覚えている。

この試合で若松勉は4打数2安打。その雄姿に一気にファンになった。そして、もう一人のヒーローが角富士夫。4対4の同点の場面でサヨナラホームランを放ったのが角さんだった

「あの試合のことはよく覚えていますよ。打席に入る前に武上監督から“狙っていけ”って言われてね」

現役生活20年、通算1521試合に出場。それでも、36年前の試合のことをよく覚えていた。プロ野球選手のインタビューをしていると、いつも「よく覚えているなぁ」と感心することが多いけど、角さんもまた当時の心境を生々しく語ってくれた。

荒川博監督から始まり、広岡達朗、武上四郎、土橋正幸、関根潤三、野村克也監督の下で20年間のプロ野球生活を送った。広岡監督率いる78年の初優勝にも貢献し、80年代の低迷期も味わい、野村監督の下で2度の優勝も経験した。

「ヤクルトには二つの流れがありますよね。《野村監督以前》と《野村監督以後》と……」

高校卒業後、現在に至るまでスワローズ人生ひと筋の角さんの話は、今度の新刊執筆に向けて大いに参考になった。36年前のサヨナラ試合。あの試合がなければ、僕はこんなにヤクルトに夢中になることもなかっただろう。「あの試合があったから、今があります」、そんな思いを込めて「ありがとうございました」と伝えた。

「いやいや(笑)。でも、そう言ってもらえると本当に嬉しいです」

ヤクルトOB、現役選手取材、まだまだ続きます。


shozf5 at 09:12|Permalink ヤクルト書籍関連 

2016年01月06日

『哀愁のスワローズ全史』、絶賛取材中!

松岡弘氏

昨年12月1日から、今夏発売予定の『哀愁のスワローズ全史(仮)』の取材を本格的にスタートした。これは、僕にとって初めてとなる「極私的ドキュメンタリー」だ。

スワローズファンになって40年近いときが流れた。1970年生まれの僕にとって、78年の初優勝はボンヤリとした記憶しかない。しかし、80年代の低迷時代のことは今でもくっきりとハッキリと覚えている。僕がようやく物心つき始めた80年代のヤクルトは本当に弱かった。多感な時期にひいき球団がとてつもなく弱かったという事実は、間違いなく僕の人格形成に影響していると思う。

安田猛氏 (2)


僕は当時のスワローズからいろいろなことを学んだ。いいことばかりではなく、反面教師としての学びも多かった。好意的に言えば「弱くても弱くても戦い続ける健気さ」だけれど、現実的には「負け犬根性が身に着いた組織のダメダメさ」「なすすべもなく巨人にやられる無様さ」など、困難な現実から得たものの方が多かった。それでも、一縷の望みとかすかな希望の光を求めて神宮球場に通い続け、ささやかなその夢さえも、なかなかかなうことはなかった。だからこそ、たまの勝利がとても嬉しかった。

関根潤三氏


そして迎えた90年代。野村克也監督の下、ヤクルトは92、93、95、97年と4度のリーグ制覇、3度の日本一に輝いた。80年代とは正反対のスワローズ快進撃。決して腐らず、投げ出さず、じっと耐えていればいいこともあるものだ。そんなことを実感する夢のような日々だった。

IMG_2832



12月1日から始まった取材は、12月だけで8人にお話を聞いた。当時、選手たちはどんなことを考えていたのか? それは、僕の予想通りのコメントもあれば、まったく想像もしなかった苦汁の日々を振り返るコメントもあった。そして、明日からは怒涛の如く80年代、90年代のスワローズ戦士たちにお話を伺う日々が始まる。個人的な思い入れが強いので、現場では完全にインタビュアーの主観が勝ってしまうことだろう。

インタビューは徹底的に客観的であるべきだ――。

そんな思いが胸の奥には根強くあった。だからこそ、「ヤクルトはテーマにすまい」とずっと思っていた。ところが、ふとしたきっかけで、「完全主観のインタビューがあってもいいではないか」と考えるようになった。

徹底客観から、完全主観へ――。

その経緯は本書の中で詳述するけれど、そう考えられるようになった瞬間に、「猛烈にスワローズを書きたい」と思い始め、すぐに懇意にしている編集者に相談すると、トントン拍子で企画が通過。出版が決まった。

もちろん、OBたちだけではなく現役選手、首脳陣たちにもお話を伺う予定でスケジュール調整をしている。OBたちと現役選手たちをつなぐ「スワローズ」という一本の糸。今年上半期は楽しい日々が始まることになりそうだ。


shozf5 at 11:03|Permalink ヤクルト書籍関連 

2016年01月05日

ヤマトに猛虎に新日本! この正月に読んだ本

IMG_3126

年末年始は映画を見たり、本を読んだり、久々にノンビリと過ごした。この間に読了して面白かったのは、『「宇宙戦艦ヤマトをつくった男 西崎義展の狂気』(牧村康正+山田哲久・講談社)、『1985 猛虎がひとつになった年』(鷲田康・文藝春秋)、『新日本プロレスV字回復の秘密』(長谷川博一・KADOKAWA)

「ヤマトをつくった〜」の西崎義展氏の、文字通り「狂気」は、彼がすでに亡くなっていること、残された遺族とラ紫崎本人が没交渉であり、むしろ憎まれていたからこそ、より筆も進んだのだろう。それにしても、毀誉褒貶の激しい人物であったようだけど、氏の「ヤマト愛」は本物だと思う。共著にする意味が最後までよくわからなかったけど、一気に読了できた。

「1985 猛虎が〜」はオーソドックスな構成。阪神日本一の85年シーズンを、前年の84年オフからスタートし、85年2月から11月まで、さらに「その後」を描く。ほぼすべての主力選手の「証言」に加え、マネージャーやグラウンドキーパー、フロント組も登場する点が面白かった。僕は、あまり表に出ない「裏方」に関心、興味があるタイプなのだろう。

「新日本プロレス〜」は、帯にあるように「倒産寸前の危機的状況から、奇跡的な復活を遂げた衝撃の舞台裏に迫る」内容。と言っても、経営分析のようなお堅いものではなく、格闘技路線を採り入れることで迷走を始めた90年代後半から、どん底だった05、06年、そしてブシロード体制となった12年からの快進撃を(ほぼ)時間軸に沿って関係者の「証言」から振り返る。「野球人気回復のヒントになるのでは?」という思いで手にとった。マニアと新規ファンへの目配りなど、参考になる点も多々あったと思う。

気になったのは本の表紙に著者名が表記されていないこと。奥付を見て、先輩ライターの本だと知った。「著者名がなくても売れる」という判断なのだろうけど、書き手に対する敬意がまったくなく、失礼だし残念に思う。








shozf5 at 11:26|Permalink 映画、音楽、そして本 

2016年01月04日

パ・リーグ6球団福袋をすべて購入してみた!

昨年末の、楽天福袋先行予約から始まり、年明けの新春初売りセールまで。ひたすらパソコンのの前で球団公式ネットショップにアクセスをして、無事にパ・リーグ6球団の「新春福袋」を購入

そこにどんな意味があるのか? それは問わないで下さい(笑)。もちろん、この閉塞した現代社会に風穴を開ける意義などないことは重々、承知しています。今春発売する次回作に詳しくは書きますが、無事に購入できたことにホッとしています。

すべての商品が届くのは今月中かな? 月末までのささやかな楽しみができた。それにしても、せっかく年末に大掃除したのに、今年もまた段ボールの山ができていく……。

ソフトバンク福袋

【ソフトバンク】8900円(税込)+送料500円

日本ハム福袋

【日本ハム】5000円(税別)+送料0円
※日本ハムだけ税別(消費税・400円)

ロッテ福袋

【ロッテ】5000円(税込)+送料0円

西武福袋・5000円

【西武】5000円(税込)+送料525円

オリックス福袋

【オリックス】6000円(税込)+送料670円

楽天福袋

【楽天】5000円(税込)+送料400円




shozf5 at 12:12|Permalink スタジアムでビール! 

2016年01月01日

2016年も素晴らしい1年でありますように!

ラッキーヱビス


年末にいただいた「幻の銘酒」をいただきながら、ノンビリと実家にて過ごしています。持参した本を読みながら、ダラダラするつもりです。

多くの方々に支えられながら、ここまでやってくることができました。2016年も精力的に取材&執筆活動を続けていくつもりです。本年もご指導、ご鞭撻のほどどうぞよろしくお願いいたします!

写真は数百本に1本程度と言われている、幻の「ラッキーヱビスラベルです! 魚籠の中に鯛がもう一匹、隠れています。新しい1年も、みなさまにとって素晴らしい年となりますように。


shozf5 at 01:30|Permalink ひたすらの、呑み…… 

2015年12月31日

2015年のお礼と2016年のごあいさつ

IMG_3118

2015年もいよいよ暮れようとしています。みなさんにとって、今年はどんな1年だったでしょうか?

僕は今年4冊の書下ろしと1冊の文庫版の計5冊を発売するという、とても慌ただしい1年となりました。4〜5年かけて取材を続けてきたテーマが次々と発売されていき、ようやく肩の荷が下りたような気がしました。

来年3月発売の次回作はすでに取材を終え、構成もほぼ完成しているので、年明けからすぐに書き始めるつもりです。そして、夏に発売予定の新刊もすでに取材が佳境に入り、順調に進んでいます。

他にも、ここ数年取り組んでいるテーマがいくつかあります。それらが完成、発売されるのは再来年以降のことになりそうですが、これからも地道に、そして着実に取材を続け、執筆していくつもりです。

過去3年間続いた大殺界が明ける2016年。少しずつ地歩を固めていきながら、さらなる飛躍を目指して頑張っていく所存です。どうぞ、これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

みなさんにとっても、2016年が素晴らしき一年となりますよう! どうぞ、幸せな年末年始をお過ごしください。

今年1年、どうもありがとうございました。来年もまたどうぞよろしくお願いいたします!



【2015年発売・新刊リスト】











shozf5 at 03:14|Permalink ボーッとしながら考える 

2015年12月27日

『Cawaii!』と、作家・中島京子の蒼き日々



昨日発売された、最新刊ギャルと「僕ら」の20年史 女子高生雑誌Cawaii!の誕生と終焉』(亜紀書房)では、直木賞作家の中島京子さんから、帯の推薦コメントをいただいた。

私たちは今までどこにも
属さなかった読者を相手に
しているんだなって気づきました


2010年『小さいおうち』で直木賞を受賞する中島京子さんは、雑誌『Cawaii!』の創刊メンバーの一人だ。『Cawaii!』編集部では、僕とはニアミスだったけど、別々の雑誌の編集者として、同時期に同じ会社に在籍していた。


僕が『Cawaii!』編集部に移動した後、創刊編集長と酒を飲んでいたときに、こんなことを言われた。

「長谷川、タヤマカタイって知ってるか?」


突然、何を言うのかと思いながら、僕は答える。

「作家の……、あの『蒲団』の田山花袋ですか?」

読んだことはなかったけれど、受験勉強の記憶をたどりながら答えた。

「そうだ。よく知ってるな。その田山花袋の『蒲団』をアレンジして中島が小説を書いたんだよ」

一足先に会社を辞めた中島さんがアメリカにわたって、帰国後フリーライターになっていることは知っていた。酒場で何度か同席したこともあって、小説家を目指していることも知っていたので、特別驚きはしなかった。

「その小説がかなり面白いんだよ。あれはかなり良くできた作品なんだ」

……そのときは、それで話題が終わった。けれども、あれから二十年近く経つというのに、このときの編集長とのやり取りはハッキリと記憶に残っている。滅多に褒めない編集長が「よく知ってるな」と発言したのが嬉しかったからだろう(笑)。

それから、しばらくして中島さんの作品は『FUTON』と題されて店頭に並んだ



僕はすぐに購入して一気に読んだ。上から目線の発言だけど、見事なデビュー作だと思った。その後、次から次へと話題作を発表し、多くの文学賞を受賞。一気に人気作家の仲間入りを果たした。

そして、2010年。『小さいおうち』が発売されたときにもすぐに買って読んだ。そのときに、「映像化されそうないいお話だな」と感じた。そして、見事に直木賞を獲得。しばらくして、あの山田洋次監督が映画化すると聞き、「当然だよな」と納得したことを覚えている。


今回、『Cawaii!』の物語を執筆するに当たって、どうしても中島さんに当時の思い出を聞きたいと思った。

(ひょっとして、中島さんはあの時代のことを話したくないのかも……)

何だか知らないけれど、勝手にそんな不安を抱きつつ、取材のお願いをするとアッサリと快諾していただけた。駆け出しの後輩に対する気遣いだったのかもしれない。

そして、お話を伺うと、当時の生々しい心境が語られ、卓見も随所に発揮された。特に、「あの雑誌は《郊外》を発見したのだと思う」という発言には、深く納得した。

それまでの既存の女性誌が扱っていた、銀座や青山、代官山ではなく、栃木のコなら上野、飯能のコなら池袋など、都内近郊の読者たちのリアルな情報を拾うことで、『Cawaii!』は草の根的な誌面作りが可能になった。「それが読者たちの共感を得たのでは?」という発言だった。

他にも、「雑誌」という概念の変容について、現在のSNSと『Cawaii!』との関係について……、本書執筆において、参考になる言葉がたくさんあった。

中島さんにお話を聞いてから、発売までに2年もかかってしまった。「長谷川クンは結局書けなかったのかな?」と心配されていただろう。ようやく完成のご連絡をすると、「ご苦労さまでした。楽しみにしています」とねぎらいの言葉をもらった。

このギャルと「僕ら」の20年史では、若き日の中島さんの迷いや葛藤にも触れた。本書は直木賞作家の蒼き日々の奮闘の物語でもあるのだ





shozf5 at 13:12|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2015年12月26日

今年は書きに書きまくって、5冊を出版!

2015年も押し迫ってまいりました。年内に書かねばならない原稿もすべて書き終え、つかの間の休息に浸りながら、ノンビリと過ごしています。

さて、今年は書下ろし新刊4冊、以前出版したものの文庫版1冊、合計5冊を出版いたしました。


ここ数年、九州地方を中心に積極的に取材を続けてきたのが、太平洋クラブ、クラウンライターライオンズに関する物語です。

『野球小僧』誌での連載を皮切りに、同誌の休刊によって、他社である『ベースボールマガジン』誌に連載が移って、継続連載したものの、編集長交代によるリニューアルとともに連載中断。出版化を諦めつつあったときに、関係者の尽力によって、またまた別の出版社から何とか出版にこぎつけました。

まるで、西鉄から太平洋・クラウン、そして西武へと短期間で移り変わったライオンズそのもののような経緯だけに、ようやく完成した喜びでいっぱいです。


稀代の名レスラー・三沢光晴氏が亡くなって、今年で七回忌を迎えました。期せずして、生前の三沢さんにお世話になった3人が集まり、「何か三沢さんの物語を作りたいね」と話していたことが、トントン拍子にまとまり、「三沢さんの命日である6月13日までに完成させよう」と一気に取材をし、怒涛の如く書き上げました。

出版をご快諾いただいた三沢夫人、そして三沢さんの最期を看取った医師の取材協力なくしては、この物語は完成しませんでした。アクシデントが起きて、救命治療を施し、息を引き取るまで……。関係者たちの生々しい証言を基に、「あの日」を描き、そして、今もなお多くの人々に影響を与え続ける「あの日からの三沢光晴」を描いた物語です。


女子野球日本代表・マドンナジャパンを追いかけ続けて、早くも10年の月日が流れました。昨年、宮崎で行われたワールドカップ(W杯)にも大会期間中、ずっと代表に密着しました。そしてつかんだ、大会四連覇。マドンナジャパンの強さは本物でした。

けれども、なかなか世間の認知度は高まりません。「何とか力になれないか」と考えていたところ、女子野球関係者から、「ぜひ本を出してほしい」と力強く後押しされて、書き上げたのがこの本です。本書発売後も、選手たちが大会会場で販売してくれたり、本当に感謝、感謝、感謝です。

この本には、マドンナジャパン一人ひとりがどんな思いを抱えて野球をやっているのか、どんな人生を歩んできたのかが書かれています。来年2016年は韓国でW杯が行われます。もちろん、僕もまた帯同するつもりです。


2011年に発売された本書。この本によって、僕の物書きとしての人生は大きく変わりました。地味な題材でありながら、多くの人に読んでいただき、「マイナーなものに光を当てることの意義」を改めて認識した次第です。

そんな思い出深い本が、加筆して文庫化されました。それまで面識のなかった若き編集者から突然、「文庫にしませんか?」と連絡が来たときの喜びは忘れられません

この『最弱球団』があったから、今年発売した『極貧球団』が生まれました。実はこの『○○球団』シリーズ、僕の構想では全三部作の予定です。第三弾の発売はいつになるのか? もうしばらく頑張るつもりです。


そして、本日全国発売となったのが、この本です。僕はかつて『Cawaii!』というギャル雑誌の編集者でした。当時、この雑誌は売れに売れまくっていました。女子高生たちは本当にパワフルで、元気に渋谷を闊歩していました。

しかし、僕がこの編集部を去りフリーランスとなった後に、この雑誌は次第に失速を始め09年に休刊します。その知らせを聞いたとき、僕は自分の耳を疑いました。あれだけ元気だった雑誌が休刊するという事実を受け入れることができなかったからです。

そこから、旧知の先輩、後輩たちに話を聞き、この雑誌の生涯と、女子高生カルチャーを描くことを決めました。しかし、思いのほか難航して完成までに6年近くかかってしまいました。

あの雑誌が生み出したものは何だったのか? 女子高生カルチャーとは何だったのか? ギャルはどこから生まれ、どこに行ったのか? そんなことをまとめた本です。



……以上、今年刊行された5冊について振り返ってみました。ジャンルもテーマもバラバラですが、来年以降も自分の気になること、自分が読みたい本を作っていこうと思っています。

来年はすでに2冊の出版が決まっています。数年にわたって、取材を続けているテーマも3本ほどあります。2016年も元気に精力的に頑張っていくつもりです。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします!


shozf5 at 19:03|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2015年12月25日

新刊『ギャルと「僕ら」の20年史』、本日発売です!

yjimageHCKND4YK

突然ですが、「みちょぱ」って、ご存じですか? 平成10年生まれの17歳。『ポップティーン』の人気モデルで、16歳のときに同誌史上最年少で単独表紙を務めた、現役バリバリのギャルだ。

「街からギャルが消えて久しいけど、どうしてなんだろう?」と思っていたところ、関係者に「かつての正統派ギャルが今も頑張っていますよ」と教えられ、のこのこと会いに行った。

ちなみに、「みちょぱ」とは本名の「美優」と『ワンピース』の「チョッパー」を組み合わせた造語(笑)。

当時16歳の彼女に、当時44歳の僕が単刀直入に聞く。


「ギャルって何ですか?」
「ギャルはどこに行ったんですか?」
「つけま重くないですか?」


僕の幼稚な質問に対する彼女の答えはシンプルで力強い。僕は内心、感動していた。

(何てわかりやすく話してくれるコなんだろう……)

彼女は言う。

「ギャルは見た目だけじゃなくて、中身もギャルマインドじゃなくちゃダメだと思う」

「ギャルマインドって、何ですか?」

「それはね……」

年を食ったバカな生徒に対して、金髪のギャル先生が優しくレクチャーしてくれた。彼女とのやり取りが面白く、内容も示唆に富んでいたので、本日発売の新刊『ギャルと「僕ら」の20年史』において、終章に登場してもらうことにした。

みなさん、「ギャル」って何だと思いますか?


ということで、新刊ギャルと「僕ら」の20年史 女子高生雑誌Cawaii!の誕生と終焉』、本日発売です。どうぞよろしくお願いいたします!





shozf5 at 18:52|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2015年12月22日

新刊『ギャルと僕らの20年史 女子高生雑誌Cawaii!の誕生と終焉』、いよいよ発売です!

FullSizeRender


かつて一世を風靡した女子高生雑誌『Cawaii!』。最盛期には40万部超の売り上げを誇りながら、2009年に休刊に。かつて僕はこの雑誌の編集者でした。20代の終わりから30代の初めにかけて、ギャルとギャル男たちと仕事をしていました。

20世紀末、女子高生カルチャーは百花繚乱の時期を迎えていました。コギャル、チョベリグ・チョベリバ、ルーズソックス、カリスマ、エンコー(援交)……。流行語大賞には彼女たちを取り巻くさまざまなフレーズがノミネートされました。

本書は渋谷発の熱いカルチャーとあの雑誌にかかわった編集者たちの群像劇です。人気読モたちやカリスマ店員たちはもちろん、4人の歴代編集長と、浜崎あゆみから絶大な信頼を得ていたものの、若くして亡くなった天才編集者、そして後に直木賞を受賞する女性編集者、そして若かりし頃の僕自身……。

ギャルカルチャーの物語であると同時に、雑誌カルチャーの物語であり、編集者たちの情熱の物語でもあります。いよいよ、今週末から書店店頭に並びます。どうぞよろしくお願いいたします!




shozf5 at 16:08|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2015年12月10日

12月に、新刊が2冊発売されます!


2009年から取材を始めていた雑誌『Cawaii!』にまつわる物語。ようやく完成、出版の運びとなりました。

ギャルと「僕ら」の20年史
女子高生雑誌Cawaii!の誕生と終焉


かつて、一世を風靡した雑誌『Cawaii!』。95年の臨時増刊発行から09年の休刊までの14年間の物語。あの当時、編集者たちはどんな思いで、この雑誌を作っていたのか? あの当時、本当に元気だったギャルやギャル男たちは何を考えていたのか? 当事者たちの証言からあの時代を振り返りつつ、「ギャルはどこに行ったのか?」を解き明かしました。

以下、アマゾンの「商品紹介」からの抜粋です。

世界共通語「カワイイ」はここから生まれた! コギャル、読モ、ガングロ、ルーズソックス、 アムラー、109、ミージェーン、カリスマ店員、 プリクラ、浜崎あゆみ、板野友美―― “失われた20 年" の記憶をたどる旅!! 初代編集長から4代にわたる男性編集長と、 当時 Cawaii! 編集部員だった著者自身の歓喜と苦悩、 そして女子高生モデルやカリスマ店員の駆け抜けた時代を リアルな筆致で描き出す群像ドラマ!



なぜ、僕が「ギャル」なのか? 実は僕はかつて、この雑誌に少しだけ関わっていました。40万部強の部数を誇っていた全盛時代、20代だった僕もまた、この雑誌の編集部で奮闘していました。だからこそ、後の休刊には言葉を失うほど驚きました。

そこで、かつての先輩、後輩、仕事仲間たちを訪ね歩いて、この雑誌の遺したもの、果たせなかった夢、どうして休刊となってしまったのか……。取材を通じて強く印象に残ったのは、若くして亡くなった「天才編集者」の雑誌にかける執念のような思いでした。彼の遺したページを振り返りつつ、彼が生きた証を記録したつもりです。

そんなことをまとめた物語です。どうぞよろしくお願いいたします。


また、本日から以下の新刊も発売されます。
こちらは、単著ではなく、共著となります。僕は、今季限りで引退した前日本ハム・木佐貫洋氏の物語を書きました。丁寧に受け答えをする木佐貫氏の誠実な態度がとても印象的でした。こちらも、どうぞよろしくお願いいたします。


shozf5 at 11:01|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2015年11月12日

ときは流れる。季節は巡る――台湾・天母棒球場

JT8I7696

プレミア12をテレビ観戦。昨日のメキシコ戦は台北の天母棒球場で行われた。中田翔の大活躍、メキシコの粘り強さなど試合も面白かったのだけれど、どうしても両軍ベンチ、観客席、スコアボードなど、球場設備が気になって仕方なかった。

2006年の夏、僕はこの球場に10日間通い続けた。「第2回女子野球ワールドカップ」が行われていたからだ。僕にとっては初めての女子野球国際大会取材。前年に初めての「女子野球本」を出したばかりで、選手との関係も今よりもずっと希薄ではあったけれど、某スポーツ誌の依頼を受けて、台湾へと旅立った。

結局、この大会で日本はアメリカに敗れて準優勝に終わる。決勝戦は0対10から10対10に追いつくものの、11対13で敗れ去った。その後もずっと女子野球取材を続けているけれども、この一戦は僕にとって「生涯忘れられない試合」となった。

この試合で印象的だったのが二番手に登板した中島梨紗だった。大会全6試合中5試合に登板。他の投手陣が満身創痍だったこともあって、この大会での中島は身をちぎるようにして投げ続けた。その鬼気迫る姿は見る者に畏怖の念を抱かせるに十分なものだった。

JT8I6840


……第1回プレミア12を見ていて、9年前の夏の光景がありありと浮かんできた。今日のドミニカ共和国戦からは桃園球場に戦いの舞台が移る。予定では今後、今大会では天母での試合は行われない。

あの夏の中島梨紗の奮闘を、僕は決して忘れないだろう。その彼女も、今季限りでの現役引退を決めた。ときは流れる。季節は巡る。


shozf5 at 11:12|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2015年11月09日

1980年2月23日〜12球団ファンクラブ評論家Ⓡの原点〜

FullSizeRender


昨年、プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!』(集英社)という本を出版した。

タイトルの通り、2005年から2014年にかけての10年間にわたって、全球団のファンクラブに入会してみた顛末をまとめたバカバカしい内容のものだが、思いのほか話題になって多くの人に読んでもらうこととなった。

さて、お手元にある方は、ぜひ46ページをご覧になってほしい。そこには、「僕とファンクラブの35年闘争(笑)」と題されたミニコラムがある。

ここでは、僕が初めてヤクルトのファンクラブに入ったのが1980年であること。そして、そのきっかけは当時購読していた『朝日小学生新聞』に掲載されていた「ファンクラブ特集」を見て、母が入会を勧めてくれたことを記した。


今日、来年発売する新刊の資料を集めるために朝から国会図書館で調べ物をしていた。必要な資料をある程度見つけた後に、ふと『朝日小学生新聞』のことを思い出した。拙著で書いたように、この記事が掲載されたのは「80年の開幕前」であることは間違いない

ということで、1980年1月からの『朝日小学生新聞』を請求して、この記事を探してみることにした。1月1日の元日号から始まり、丹念に記事を拾っていく。この年開催予定のモスクワ五輪について、前年に話題になった機動戦士ガンダムの記事などが続き、そして2月23日7面、ついにその記事が見つかった!

この記事を目にした途端――自分でも驚くほど鮮やかに――9歳当時の情景が脳裏に浮かんできた。特に深く考えることなく、ヤクルトファンクラブに入会した僕は、まだ小学校3年生だった。そこから35年が経ち、45歳の中年男性となった(笑)。

まさか大人になって、全球団のファンクラブに11年間も入会し続け、特許庁に出向いて「12球団ファンクラブ評論家Ⓡ」で登録商標を取得するとはまったく思ってもみなかった(笑)。国会図書館の片隅で、僕はしばしの間、感慨に浸っていた……。











shozf5 at 23:07|Permalink スタジアムでビール! 

2015年09月09日

『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』が文庫本に!

最弱球団 高橋ユニオンズ青春記
長谷川 晶一
彩図社
2015-09-16


2011年に発売した『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』が、9月16日、文庫版として発売されます。
すでに絶版となっていたのですが、今回、若い編集者の熱意によって、文庫化が実現しました。

今回、本文に加筆を行い、出版後の反響や、新たに連絡先が分かったOB選手のその後を描いた「高橋ユニオンズは終わらない」を最終章として書き下ろしました。

この出版を記念して、9月27日には『プロ野球ニュース』でおなじみのユニオンズOB・佐々木信也氏とのトークイベントをQVCマリンフィールドで行います。トークイベント後には、佐々木さんとともに、この日行われるロッテ対ソフトバンク戦を一緒に観戦する催しです。

詳しくはこちらまで!

もろもろ、どうぞよろしくお願いいたします!




shozf5 at 17:34|Permalink 『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』関連 

2015年07月09日

最新刊『マドンナジャパン 絆でつかんだ四連覇』新発売!


女子野球本としては2年半ぶりの新作となる『マドンナジャパン 絆でつかんだ四連覇』(亜紀書房)が、7月24日頃から発売されます。

詳細は改めてご報告します。どうぞよろしくお願いいたします!


shozf5 at 12:08|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2015年06月19日

『2009年6月13日からの三沢光晴』、重版決定!



先週10日に発売された新刊『2009年6月13日からの三沢光晴』(主婦の友社)。おかげさまで、発売前から予約が殺到し、発売3日目となる12日にはすぐに重版、増刷が決定しました

また、多くの方からの反響、感想をいただき、作者としてとても嬉しく思っています。以下、いくつかご紹介させていただきますので、ご覧いただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。


突き刺さる秒針の動きと、その後に息づく人間像――『2009年6月13日からの三沢光晴』を読んで
プロレスライターとして活躍中の鈴木健氏のブログです。こちらからどうぞ。

「2009年6月13日からの三沢光晴」を読んで
プロレスファンにはおなじみのキャスター・三田佐代子さんのブログです。こちらからどうぞ。

人間的な彼らのなんと魅力的なことか/2009年6月13日からの三沢光晴
漁師JJさんによる人気プロレスサイト「多重ロマンチック」です。こちらからどうぞ。


今後も、書評がいくつか掲載される予定です。随時、ご報告いたしますので、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

shozf5 at 09:20|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2015年06月18日

『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』文庫化決定!



不思議なこともあるもので、昨日、今日と高橋ユニオンズ関連の動きが、突然活発化している。

まずは昨日のこと。2011年に出版した拙著『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』はすでに絶版となっているのだけれど、大幅に加筆を行って、今秋に文庫化されることが決まった


4月に開催された「東京野球ブックフェア」において、「限定10部、最後の販売」と銘打って販売したばかりで心苦しいのだけれど、この「最後の販売」がきっかけとなって、ある編集者から「ならば文庫化しませんか?」とご提案を受け、本決まりとなった。

改めて、資料部屋からユニオンズの資料を引っ張り出していたところ、本日立て続けに2件もユニオンズ関連の出来事が。

1件は、高橋オーナーのお孫さんから「ユニオンズOBの連絡先が新たにわかりました」とのメール。そこには某選手の電話番号が書かれてあり、「長谷川さんのことも伝えてあります」とのこと。さっそく電話してみると、「いろいろとお話したいことがあります」というので、来週、ご自宅まで伺うことになった。


そしてもう1件は、以前取材した方から封書が届いた。そこには兵庫の丹波新聞の記事が同封されていた。今年の5月14日付のコラムに拙著が紹介されている記事だった。

あんなに地味な作品だったのに、それでもこうしてまだまだしぶとく息づいていることが嬉しい。この作品がなければ、今週発売の『極貧球団』も生まれなかった。出版から4年経って、突然の動きに驚いているけれど、僕にとっても思い入れの深い作品なので、新たな気持ちで取り組みたい。

以下、その新聞記事より。

img096



こちらは、今週20日発売の最新刊『極貧球団 波瀾の福岡ライオンズ』です。どうぞよろしくお願いいたします。



shozf5 at 15:39|Permalink 『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』関連 

2015年06月16日

『極貧球団 波瀾の福岡ライオンズ』、ついに発売!



先週10日発売の『2009年6月13日からの三沢光晴』に続いて、今週20日には『極貧球団 波瀾の福岡ライオンズ』が発売されます。

こちらは、1973〜76年まで存在した太平洋クラブライオンズ、そして77〜78年までのクラウンライターライオンズ、両チームの6年間を関係者40数名の証言で描いた物語です。

経営母体が脆弱で、「いつ潰れてもおかしくない」という状態の中で、関係者たちは奮闘を続けました。その中で、東尾修、基満男、竹之内雅史、真弓明信、若菜喜晴、永射保、ビュフォード、レポーズ、ハワードら、個性的な選手を多く輩出しました。

話題作りのために、ロッテとの遺恨騒動を演出。当初はうまくいっていたものの、やがて制御不能の混沌とした状態に陥ったこともあれば、アメリカの名将、レオ・ドローチャー招聘をぶち上げたものの、オープン戦が始まっても来日せず、結局、監督就任断念の憂き目を見たこともありました。


弱ければ、弱いなりに思い切ったプレーをしようという選手の矜持。貧しければ、貧しいなりに話題を生み出し、少しでも観客動員につなげたいというフロントの奮闘。「九州の田舎球団」と言われながらも、選手たちはたくましく戦い続ける。


弱く、貧しく、たくましく――。


西鉄ライオンズと西武ライオンズ、二つの名門球団に挟まれた太平洋クラブ、クラウンライター。この苦難の6年間があればこそ、後の栄光がありました。野球史において、ほとんど顧みられることのない6年間にスポットを当てた物語。どうぞ、ご覧下さい!


shozf5 at 11:59|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2015年06月09日

新刊『2009年6月13日からの三沢光晴』発売です!



早いもので三沢さんが亡くなって、今度の6月13日で6年が経つ。七回忌に向けて、新刊『2009年6月13日からの三沢光晴』(主婦の友社)が6月10日に発売される。

あの日、現場にいたレスラー、マスコミ、そしてご遺族の許可を得たうえで、三沢さんの最期を看取った3人の医師たちに話を聞いて、「あの日の三沢光晴」と、「あの日からの三沢光晴」を描いた。


リング禍が起きた6月13日午前2時、三沢さんは「ある女性」に電話をかけていたことが関係者への取材でわかった。この電話から始まり、三沢さんが亡くなった翌朝までを描いた第一部。

そして、「あの日」から6年が経ち、遺された人々の中に今も息づいている「三沢イズム」を描く第二部。

第一部を聞く場面では、取材をしていて、何度も息苦しくなった。思い出したくない過去を蒸し返す心苦しさもあったし、三沢さんが亡くなる経緯が生々しくもあったからだ。

一方の第二部においては、6年が経つというのに、それぞれの人々の中に有形無形で「三沢の教え」が息づいているのがよくわかった。

本書では「三沢さんの死」を通じて、今も多くの人に影響を与え続けている「三沢さんの生」を描いたつもりだ。

ぜひ、多くの人に読んでもらいたいと心から願っています。どうぞよろしくお願いいたします。


以下、「アマゾン」の内容紹介より。


稀代の名レスラー・三沢光晴がリング上の事故で命を落とした2009年6月13日。当日、会場にいた選手、マスコミ、そして治療にあたった医師の証言から、あの日起こった出来事の真相に迫る。死因は即死とも思われる頸髄離断だったが、ICUでは一度心拍が再開していたという。広島大学病院の救命医があの日のICUでのことを初めて明かす。そして最後の対戦相手となった齋藤彰俊は事故から数カ月後、三沢が生前に残したメッセージを受け取っていた。「社長からのメッセージを受け取って、すべて受け止めて現役を続けるという自分の決断は間違っていないと思えました」という齋藤は「答えは自分で見つけろ」という三沢のメッセージを胸に今も歩み続けている。また、小橋建太、潮豪、丸藤正道、鈴木鼓太郎、浅子覚、西永秀一ら深い関係を持つ人物たちにとって2009年6月13日からの三沢光晴はどう息づいているのか? 

目次

序 章 三沢光晴からの電話

【第一部 2009年6月13日の三沢光晴】
第一章 午後三時、会場入り
第二章 午後八時四三分 バックドロップ
第三章 午後一〇時一〇分 最期の瞬間
第四章 翌朝七時、齋藤彰俊の決断
第五章 それぞれの六月一四日

【第二部 2009年6月13日からの三沢光晴】
第六章 二〇一五年、春――あれから六年
第七章 レスラーたちのそれから
第八章 三沢光晴からの伝言

終 章 オレのマブダチ


shozf5 at 21:29|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2015年02月21日

『マドンナジャパン光のつかみ方2』発売決定!

5GUN1082


2012年のカナダ・エドモントン大会の舞台裏をまとめた『マドンナジャパン光のつかみ方』発売から2年。この間に侍ジャパン女子代表・マドンナジャパンは2014年の第6回女子野球ワールドカップ日本・宮崎大会も制覇してV4を達成。

そして今夏、ついに『マドンナジャパン光のつかみ方』の第二弾、『マドンナジャパン絆が生んだ4連覇』(仮)の発売が決定しました!

正直なことを言えば、「前作で書きたいことは書いたから、今回は出版は難しいかな?」と弱気になっていたところ、関係各位の多大な後押しを受け、第二弾の発売が決定。みんなの情熱を意気に感じて、胸の奥に眠っていた「書きたい!」という思いが沸々と湧いてきた次第。

そして、この2月。次回作『太平洋・クラウンライオンズ書籍(仮)』執筆の合間を縫って、マドンナジャパン選手たちに会い、じっくりと話を聞き続けた。全20名の選手のうち、すでに半数強のインタビューを終えた。

昨年9月の大会以来、久しぶりに選手たちにじっくりインタビューをした。同じ時期に同じ空間で過ごしながら、それぞれが考えていたことは微妙に異なり、さまざまな想いがそれぞれの胸にしまわれていた。そして、すべての選手が、それぞれの葛藤を抱えていた。

・ファーストミットを使うか、使わないか?
・セットにするか、ワインドアップにするか?
・フォームを変えるか、そのままでいくか?
・投手起用なのか、野手起用なのか?
・話題優先なのか、実力主義なのか?
・プロ入団か、アマのままでいるか?
・現役続行なのか、引退なのか?


なかには、「代表になりたくなかった」と発言した選手もいた。あるいは「美人すぎる野球選手」と話題になった選手もいた。外からはうかがい知ることのできない、彼女たちの内面を再び描こうと、現在、残りの取材も続行中。前作『マドンナジャパン光のつかみ方』の続編としての位置付けで、前作で紹介した選手たちの「あれから2年」を中心に、新たに加わった選手たちの物語を描いていくつもりです。

発売は7月中旬予定。どうぞご期待ください。引き続き、よろしくお願いいたします!




shozf5 at 12:04|Permalink 今日も元気に女子野球! 

2015年02月13日

『読む野球』第7号、阪急エース陣と中嶋聡の物語!

山田久志氏 (2)


本日、『読む野球』第7号が発売された。この号でも巻頭企画を書かせていただいたが、今回のテーマは、


中嶋聡〜プロ29年生、その蒼き日々


今年29年目を迎える中嶋聡捕手の阪急時代を中心に、山田久志、佐藤義則、今井雄太郎、山沖之彦各氏に「蒼き時代の中島聡」についてお話を伺い、そして中嶋聡選手本人に、阪急・オリックス時代を振り返ってもらって、30000字の長編物語を執筆しました。

自身の引退試合であり、阪急のラストゲームにプロ2年目の中嶋を指名した山田久志、仰木監督に干されていた中嶋を救ってくれた佐藤義則……。今井雄太郎、山沖之彦、両投手とも、「阪急の仲間として、アイツには頑張ってほしいんですよ」と白い歯をこぼした。

それにしても、山田久志氏さんのお話は面白かった。彼が語る一流選手のダンディズム、ファンへの接し方、いずれも大選手の佇まいにあふれていた。

『読む野球』は、次号に向けてそろそろ動き始めます。これからも、興味深いテーマをじっくりと掘り下げていこうと思っています。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!



























shozf5 at 14:57|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2015年01月22日

大豊泰昭氏からのラストメッセージ

大豊氏一本足


1月18日、中日ドラゴンズなどで活躍した大豊泰昭氏が亡くなった。51歳という若さだった。

一昨年秋、僕は大豊氏にインタビューをした。テーマは「一本足打法について」。王貞治氏はもちろん、片平晋作氏、駒田徳広氏など、一本足打法に挑戦した方々に会って、一本足打法とは何なのか? なぜ、今ではあのようなフォームの打者はいないのか? そんなことを尋ね歩いていた。

大病を患ったことは聞いていたけれど、目の前に現れた大豊氏の痩せ細った身体に言葉を失った。現役時代の偉丈夫なイメージとはほど遠く、それはまさに病人そのものだったからだ。

それでも、大豊氏は饒舌だった。話しているうちに、身振り手振りを交え、さらに静かに立ち上がると一本足打法の極意を実演を交えて伝授してくれた。「体調はあまりよくない」と聞いていたから、内心ではハラハラしていたけれども、一度、構えに入ると見事にビシッと決まったのが、本当にカッコよかった。

波乱万丈の野球人生に加えて、ときおり交えるユーモア。歯に衣着せぬ毒舌などがバランスよくミックスされていて、お話はとても面白かった。ただ、ときおり見せる、寂しそうな発言が切なかった。

大豊氏


ハッキリとは明言しないものの、「外国人が外国で暮らすことの厳しさ」、「閉鎖的な日本野球界の弊害」をにじませる発言も、ちらほらと漏れてきた。


最新刊『プロ野球、伝説の表と裏』にも書いたけれど、彼が漏らしたこんなセリフが胸に刺さる。


「台湾からやってきた僕が世の中で認めてもらうためにはホームランしかなかった。みんなを満足させられるのはホームランだけだった。僕は14年間で277本のホームランしか打っていません。でもね、僕のホームランはその一本、一本が涙と汗と血の結晶でした。一本のホームランを打つことに必死でした」


一本足打法修得は、本当につらく厳しい道のりだったという。大豊氏は「生まれ変わったら二本足で打ちたい」とも言っていた。それでも、一本足打法のおかげでホームラン王も獲得できたことも大豊氏は重々、承知している。

長時間に及んだインタビューの後、彼はなおも話し続けてくれた。たわいもない雑談もまた絶妙な話術で時間の経つのを忘れさせてくれるほどだった。

この雑談の中で、自費出版で写真集を作ったことを聞いた。「一部、購入させて下さい」と頼むと、「お金はいいよ」と大豊さん。そんなわけにもいかないので、お支払いすると「押し売りしたみたいでゴメンね」と笑顔。

そして、大豊さんは言った。

「実はね、こんなものを書いてみたんですよ……」

そこには、きれいな字で大豊さんの「打撃理論」がまとめられていた。

FullSizeRender


感心して読んでいると、僕にひと言、「よかったら差し上げますよ」と言った。

A4六枚、すべて直筆による力作だったために恐縮していると、「ぜひ、もらって欲しいんです」と笑顔になった。

今となっては、どうしてそんなことを言ってくれたのかわからない。原稿を書く際の参考のためだったのか、それとも、書籍化を希望していたのだろうか?

文章の最後には、こう記されている。

「さぁ……、自分の感性と慣性を磨こう。自分の能力を信じて努力する。夢は簡単に実現できないが、あきらめと中途半端だけはやめよう。厳しく、楽しく、頑張ろう」

努力の人が、静かに逝った。早すぎる死を悼んで、合掌。






shozf5 at 16:40|Permalink 忘れられぬインタビュー 

2015年01月06日

【太平洋・クラウン書籍・執筆余話01・基満男氏】

141202・基満男氏 (9)

2011年から取材を続けてきた太平洋クラブ・クラウンライターライオンズ関連取材。1973〜1978年まで、太平洋4年、クラウン2年の合計6年間という短期間だけ存在したプロ野球チーム。これまでにOB、フロントなど、のべ40数名のインタビューを行った。そして、ようやく今春、一冊の書籍として刊行されることが決まった

この年末年始は、これまでに行った膨大なインタビュー原稿を整理し、構成を考える作業に没頭。年明け早々、韓国取材があったため、実に慌ただしかったもののようやく構成も見えつつある。この物語は、ずっと「早く書きたい」と思いつつ、あえて自分を焦らしてきたため、おそらく書き始めたら、あっという間に執筆完了となるような気がしている

この6年間、チームに在籍した基満男氏――。
基さんには11年12月、そして14年12月、二度にわたって福岡でお話を聞いた。基さんのお話は実に面白い。現役時代から一匹狼で、人とつるむことをしなかった性格そのままに他の選手に対する批判がかなり厳しい。特に、同僚だった竹之内雅史氏に対する舌鋒は鋭い

開口一番、「オレはアイツのことは好きじゃない」と言い放つと、その理由を詳しく話てくれた。後に、竹之内さんに基さんの発言を告げると、「いかにもアイツらしいよ」と豪快に笑った。そんな竹之内さんもカッコよかった。

詳しくは、これから本書で執筆していくつもりだけれど、ひとつだけエピソードをご紹介したい。

「オレは、“竹之内はラクやなぁ、幸せな選手やなぁ”って、ずっと思っとったよ」

その理由を聞くと、

「気持ちよくバットを振って、当たればヒット、外れればゴメンナサイで済むやろ、アイツは。でも、そんなのがホントにプロか?」

ファンは、当たればホームラン、ダメなら三振という豪快スイングを喜ぶもの。でも、基さんによれば、「素人のファンならばそれでもいいけど、本物の玄人の目から見れば、あれは自分本位のバッティング」とのこと。そして、基氏はこう締めくくった。

「ヒットを打つやろ? でもな、本当に大切なことは、自分で喜ぶか、それとも相手ピッチャーを泣かすか? どっちかっちゅうことよ」

自分で気持ちいいスイングをして豪快な一発を打って喜んでいるうちは、まだ素人。一方で、相手ピッチャーに散々、苦労させた上で、その決め球を平然と打ち返すのが本物の玄人。それが、基氏の考えだった。

竹之内さんには竹之内さんの考えがあり、言い分があるのだけれど、それは別の機会に触れたい。基さんも、竹之内さんも、「本当のことならば、どんどん書いていいよ」と言ってくれたのがありがたい。

そして、基さんは2人の打撃について端的に言った。

「……つまりは、野球観がまったく違うんだよ、竹之内とは」


基さん、竹之内さんをはじめ、太平洋・クラウン戦士は実に個性的な面々ばかりだった。今後、少しずつ、このブログにて、執筆中のこぼれ話を記していきたいと思う。どうぞよろしくお願いいたします。



※2014年12月5日に新刊、『プロ野球、伝説の表と裏』を発売しました!






shozf5 at 20:01|Permalink 『太平洋・クラウン』書籍関連 

2014年12月31日

「1993年の伊藤智仁」――その反響を受けて

IMG_5114

12月5日に発売したばかりの最新刊『プロ野球、伝説の表と裏』(主婦の友社)。発売以来、多くの感想をいただいた。その中でも、特に反響が大きかったのが、第4章「1993年の伊藤智仁だった。

数年前に、『マツコ&有吉怒り新党』の「新三大○○」のコーナーで、伊藤智仁が採り上げられたことがある。詳しくは、こちらのリンクを。

僕も「有識者」の一人として、この番組にちょっとだけかかわったのだけれど、番組スタッフによれば、この回は類を見ない反響を呼んだのだという。僕自身も、周囲から「番組見たよ」とか、「感動的だった」としばしば声をかけられた。


元々僕自身がヤクルトファンであり、伊藤智仁氏と同じ1970年生まれということもあり、「いつか伊藤智仁を書きたい」とずっと思っていた。そして、今回、ついにその願いがかなった。これまでに何度か伊藤さんにインタビューをしてきたけれど、彼が一貫して言い続けていることがある。

「人は僕のことを《悲運のエース》と呼ぶけれども、
 僕は決して《悲運》なんかではない」


1993年前半――伊藤はまるで、夏の日の花火のようにまばゆいばかりの閃光を残して消えていった。後に故障に苦しみ続けて引退していったことも多くのファンは知っている。その姿があまりにも鮮烈すぎたからこそ、人は彼を「悲運のエース」と呼ぶのだろう。

本書の取材において、古田敦也氏は「伊藤のスライダーはすごかった。それは自信を持って言えます。僕が保証します」と力強く語った。

同じく、チームメイトだった石井一久氏も、「僕にはプロでライバルという存在はいなかった。でも、プロに入って一番すごいと思ったのは(伊藤)智さんでした。後にも、先にも、あんなすごいボールは見たことがありません」としみじみと語った。

本書では伊藤本人を含めて、彼とゆかりのある人物8名に話を聞いて物語をまとめた。「どうして、伊藤の雄姿は、今もなお人々の胸を打つのだろう?」、そんなことを胸に秘めながら、原稿を書いた。

2014年も、多くの人にインタビューをして、たくさんの原稿を書き、『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!』(集英社)を含めて、2冊の本を出版した。これまで、12冊の本を出版してきたけれど、今回の伊藤智仁の物語もまた、ずっと忘れられない物語となりそうだ。願わくば、ぜひ多くの読者にも伊藤の物語を共有してほしい――。そんな切なる願いでいっぱいです。











shozf5 at 11:56|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 

2014年12月08日

新刊『プロ野球、伝説の表と裏』、いよいよ発売です!



プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!からおよそ半年。久しぶりの新刊が発売となりました。

野茂英雄氏にフォークの握りをしてもらった写真が表紙のプロ野球、伝説の表と裏(主婦の友社)です。

ムック『読む野球』に掲載したものから4編を選び、追加取材をし加筆して構成しました。4編の物語で全27名の方々にお話を伺いました


第一章 「ドクターK」の真実
第二章 一本足打法の光と影
第三章 福本を、刺せ!
第四章 1993年の伊藤智仁



第一章では、野茂英雄、阿波野秀幸、立花龍司、吉井理人、光山英和、鈴木啓示、藤江均

第二章では、王貞治、片平晋作、大豊泰昭、荒川博、駒田徳広

第三章では、福本豊、神部年男、東尾修、堀内恒夫、大熊忠義、柴田勲、梨田昌孝

第四章では、伊藤智仁、古田敦也、石井一久、立浪和義、篠塚和典、宇佐美康広、谷川哲也、秋吉亮

本書の取材、執筆を通じて、「ときが流れたからこそ、明らかになること、口外できること」、そんなものがたくさんあるのだということを再確認しました。どうぞよろしくお願いいたします。

年明けには全然別テイストの新刊2冊の出版も控えております。来年もまた頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします!

IMG_0594


shozf5 at 10:28|Permalink 執筆、執筆、執筆…… 
PROFILE
SHOICHI HASEGAWA 
1970年5月13日・東京生まれ。
ノンフィクション・ライター
日々、旅をして、人に出会い、
話を聞き、それを文章にする。
そんな日々の雑感です。
長文になると思います。

ちなみに、上の写真は、
モハメド・アリ@北朝鮮です!
(07年3月1日付参照のこと・笑)
shozf5@gmail.com


長谷川晶一著作物
Recent Comments
楽天市場